2022.12.26 読んで書いたり書いて読んだり
note を始めてひと月経ちました。
最初はブログからの移行で、記事をこちらに移し終わったら週に1、2回ぼちぼち更新するつもりが、なんか、知らん間に書いてます。
それもこれも、皆さんの記事がおもしろく、その時の気分で読みたいテーマも選べるし、毎日のように読んでたらいつの間にか感化されて自分も投稿してると言う。
本、読んでません。積読本がたまってしまいました。
それはそれで困ります。
こちらは「瞑想」と瞑想に派生した「妄想」に特化するコラムだけをアップするつもりが、わらわらと別ネタが浮かんできて、結局普通のブログっぽくなってしまいました。いいんだろうか。ブログのようにカテゴリー分けできないから雑多になりがちだなと思ってたら、途中から「アルバム」機能があるのに気がついた。そうなるとやっぱり「猫」も要るよねと新たに「猫の集会」と言うアルバムも作ってしまい(ヤバイぞ、このネーミング)、なんだか方向性が変わっていくような気配。
「書くこと」でふと思う。
書いて発信すると言うことは、その量にかかわらず多かれ少なかれ人の目に触れる行為。以前ホームページやブログで、映画レビューのみを書いていたことがある。観た映画をわたしの独断と偏見で勝手に映画の良し悪しを星マークで表し、感想を書いていたんだけど、気に入らない作品があったりすると、演出がどうの演技がこうのと、いちゃもんつけては厳しいことを書いたりしていた。そもそもそんなに自分にピッタリくる作品なんてそうそうあるわけないのに、監督までこき下ろしてみたりして。何様だ?
今思うと「嫌なヤツ」だったな。
そんな時代から月日も流れ、映画狂の姿もすっかり影を潜め、今はただのおばさんになる。
そんなおばさんが思うことは、これからは、何かを書いて発信するときにバイス(悪習・悪癖)になるのはやめようと。ざっくり言えば「マイナスなことは書かない」「なるべく愚痴・文句は書かない」「憂さ晴らしの吐け口にしない」「負の連鎖を起こすような内容はアップしない」。
と、大きく希望を書いてみた。
書くと自分の顕在意識にインプットされる。
インプットされるとそれを思考する。
思考すると遂行しようとする。
遂行すると現実化する。
マザーテレサの名言でこういうのがある。
なかなか奥が深いのだ。