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坂東三十三所観音巡礼 其の三

12月も後半にさしかかり思うことは今年も早かったなあと言うこと。毎年こんなこと言ってる気がするが、それ間違いない。間違いなく同じことを言っている。毎年毎年同じ時期に同じことを言っている自分がいる。確信犯に近い。脳もどうかしている。

時間があるなんて思わない方がいい。時間ほど当てにならないものはない。時間ほど曖昧で不確かなものはない。わたしたちは三次元に存在している「時計」と言うモノの進み具合で「時間」を認識してるが、それは果たして幻想に近い。一瞬たりとも「時間」と言うものを手にしたことがあるか? 感じたことがあるか? ない。つまり時間ほど掴みどころがないものはない。時間が一秒一分を刻むなんて信じられない。おかしな話だ。信じられるのは、太陽が東から昇ったら朝で、西へ沈んだら夜になると言うこと。月が夜の象徴だと思う人もいるかもしれないが、あのね、早朝に空を見上げてごらん。月がそこにまだ居るのよ。白く光っているのよ。月は、明るくなると空に溶け込んで見えなくなるだけ。

来年は「時間は元々ないからできることは今やる」ことを目標にしようと思う。

年明けにアファメーションしたことはほぼ半分以上実行されず、今年もまたやってしまった感が拭いきれない。が、とは言え着実に積み上げてきていることもある。
今年は、今までの神社巡りから観音巡りへと拡がった。


と言うわけで、今回はサクッと写真へのコメントのみの記事になります。


第六番 長谷寺(高野山真言宗)


こちらは鎌倉にある長谷寺はせでらと同じ読み方のお寺。

小田急線本厚木駅からバスに揺られて行く。バス停からかなり歩くので、これから行かれる予定の方は時間に余裕を持っていくと良いでしょう。この日は出発時間が午後になってしまったので、現地到着も日が傾きはじめた頃になってしまった。

こんな苔むした遊歩道をつらつら歩く。
遊歩道が苔むすくらいだからあまり人も来ないと見える。
ここが長谷寺の山門かと思いきや、ちょっと違う。
昔はここに何かあって取り壊され、入り口だけが残ってる感じもする。
屋根の裏側。草に覆われておる。朽ち果てる雰囲気半端ない。素敵すぎる。
まだまだ遊歩道は続く。赤く燃えた楓がきれい。
やっと見えてきた山門。
金色のくの字型をした装飾が施された特徴のある山門。
この装飾について、なんか説明書きがあったような気がするが、しまった、写真撮るの忘れた。
素晴らしい境内。春先は桜並木で覆われるそう。
灯籠もこれだけ並ぶと荘厳な気持ちになる。歩いていて清々しい神社っぽい寺院。


全体的になかなか凝った造りの外観。
上の「長谷寺」の文字は右横書きで、下の浄財箱の文字は左横書き。なんて、細かいことが気になるわたし。
御朱印いただいてきました。
うねうねと這うような筆跡がいかにもお寺さんらしい。
神社で拝受する御朱印にこのような筆跡はあまり見られない。



第八番 星谷寺(真言宗)


小田急線座間駅より歩いて10分ほどの距離。駅近のお寺さん。こちらも真言宗。今日は密教めいた日だ。
星谷寺は「しょうこくじ」と読む「星の谷観音」のお寺さん。


絵に描いたような仁王立ち。
阿吽の仁王立ち。


相変わらず観音様のお写真は撮れないので、こっそり拝殿上の木彫りを撮らせてもらう。定期的に塗り直しているのだろうか。色が鮮やかに残っている。
3体揃ってると物語っぽい。神話か伝説か寺の由来か。彼らは精霊か神様か、それぞれ楽器を手にしている。調べてみる価値はありそうだ。


御朱印をいただいて社務所の外を出ると目の覚めるような銀杏の樹がありました。夕暮れの陽の光にキラキラ輝いて美しく、わたしは今日この銀杏を見るために来たんじゃないかと思った。
書いた人の性格がでているような筆運び。
先ほどの銀杏の樹の裏側。葉のつき方が違うのか、陽の当たり方が違うのか。見る角度を変えると樹の見え方も変わる。
枯れ木も堂々と生きている。生命力あふれる枯れ木。
子どもをいっぱい抱えた観音様がいらっしゃいました。


今日も素敵な一日でありました。

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