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心に木を育てるように

今まで私は、人生で、何か一つの道を選択したら他の道が全て閉ざされるような気がしていたし、何かを始めたり、何かに挑戦したりすることをなんだかとても大きくて恐ろしいことのように感じていて、選択肢を削りたくないがあまりに「何も選ばない」という、数ある中で何も生み出さない、自分にとって何一つとしてプラスにならない選択肢をとっていた。

どこかの道に進んだら、その瞬間他の道は全て閉ざされて、もう他の道には進めない、そこを必ず進んでいかなくちゃいけない、そんな気がして何かを選んで行動を起こすことをずっと尻込みして、「行動を起こさないともうどうにもならない」という状況になるまで行動することから目を背けたり、現実逃避したりしていた、けど、どこか一つの道に進んだら他の道が閉ざされてしまう、なんて、そんなことは自分の大きな勘違いだったし、色々なことを大袈裟に考えすぎていたと思う。

別に一つの道を選んでも、「違ったな」と思ったら引き返したって全然大丈夫だし、進んだ道の先が枝分かれになっていたりして、そこからまた新しく、違う道に進んでいくことだってできたりする。


じゃあ、道を引き返した場合、そこで得た経験や知識、それに費やした時間や労力は無駄になるのかというと、全然そんなことはなくて、木がいろんな方向へ枝を伸ばしていくように、自分の心の中の木が、何かを選択して進んだ分だけ、枝を伸ばして、大きくなって、自分の心や人生を豊かにしてくれる。

たとえ枝の先に花が咲かなくとも、枝を伸ばした分だけ、自分の心の中の木は大きくなるし、そこで得た経験が今度は別の枝の先で花を咲かせるための糧になることだってあるかもしれない。


自分の中に木を、もっと欲張ると森を育てるように自分の人生を生きていこうと思うと、何かを選択することが前よりも格段と怖くなくなったし、行動を起こしやすくなったと思う。伸ばした枝の先で、失敗したり傷ついたりすることがあっても、自分が何かを選んで進んだ分だけ、自分の中の木が大きくなって、心の中に緑が増えていくと思えるから。


それに、花は枝も葉もないところにポッと咲いたりしないから、花を咲かせたいならまずは行動して、枝を伸ばして、自分の中の木を育てていくしかない。絶対に花が咲く枝なんてないけれど、だからと言って色んな道を「こんなことしたってどうせ何にもならない」って自分からシャットアウトしてしまっていたら、それは自分の木を自分で切って、どんどん自分の心を窮屈に追い込んでしまっているのと同じだ。


今考えると、「何も選ばない」という選択をしていたことも、「何も選ばないと何も生まれないし、なんか人生つまらなくなる、、」という一つの学びになっているからそれはそれで、自分には必要な経験だったのかもしれないけど
でもやっぱり、やってみないと分からないことを頭の中で延々と考えるだけで浪費してしまった時間を、もっと他のことに使えたら良かったな〜〜と思ったり

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