女性の産む権利と産まない権利
これは何とも寂しい議論である。明確にすべきは“女性は産む責任がある”ということだ。
生物である以上生殖により子孫につなげて行く必要がある。人類の人口が増えている間は問題ないが、人口減少の傾向が推測される場合は“産む責任”は問われるべきだろう。 上川外務大臣の“うまずして何が女性か?”との発言を批判している人たちは権利ばかり主張して人間の責任を忘れているのではないか?
最も深刻な事実は人間の女性から母性本能である母性愛が退化しつつある。文明の向上と知的生活の増加が人間から“母性本能”を奪いつつあるようだ。 先進国から徐々に人類は消え、アフリカ大陸が人類の存続の砦となることが推測される。
母性愛という母性本能が退化してしまった女性、母性本能よりも自己の自由に圧倒的な重点を置いている女性、このような人たちに赤ちゃんを産むことを期待すべきではない。なぜなら母性愛のない女性に子育てができないからである。そんな女性を母親として生まれてきた子供たちが幸せに育つとは考え難い。
政府が政策として実行できるのは母性愛がありながら経済的事情により子供を持てないでいる女性たちを援護することだろう。
厚労省のデーターによれば日本はあと100年も経たないうちに人口が半減する。人口が半減すること自体は問題ではないが人口の年齢別構成比率を見るとその時には圧倒的な少子高齢化が進んでおり、就労可能年齢の人口が圧倒的に少なくなることが問題である。いくらロボットが開発されA Iが利用されてもそれだけでは社会は機能しない。人間社会の破壊が近づいているということだ。