世界は分断か協調か?
ウクライナ問題を契機に世界は分断の方向に動いているように感じる。米英を中心にNATO諸国はウクライナを軍事支援し紛争を大きくしている。大西洋のイギリスが太平洋まで出てきて中国を威嚇、米韓は軍事演習で北朝鮮を刺激。
銃が好きな米英は仕切りに緊張を強めているように思えてならない。米国政府は民主主義が絶対的正義のように押し付け専制国家を批判するが、西欧の多くの企業は中国を工場として使い、その人口をマーケットとして利用している。
ドイツはI T・通信技術について過大に中国企業に依存してきた。
さて、これからの世界は分断を強めるのか、それとも協調の道を模索するのか、その見極めは自分の意思を持たない日本政府にはよく考えてもらわなければならない。
(過度な経済制裁による世界経済と物流の混乱)
ロシア、中国、北朝鮮、イランなどに経済制裁を加えていることに私は反対である。これは武力による戦争ではないが経済戦争といえる。世界の中でこれらの国々を完全に孤立させることは不可能である。
天然資源は世界に平均的に分布してあるわけではなく偏在している。その為世界の国々はこの天然資源を合理的に取引して生きていかなければならない。ところが経済制裁は世界の経済を混乱させている。世界中に広がるインフレがそれを代表している。米国のように石油の輸出国でさえ石油が高騰しインフレの元凶の一つとなっている。まして石油のない日本のような国にとっては非常事態である。
一部の政治家や財界人への“いじめ効果”はあるだろう。しかし、北朝鮮やイランが核兵器を諦めるほどの効果はない。ロシアがウクライナから引き上げるほどの効果もない。その一方でこの制裁がブーメランとして世界経済を混乱に陥れている。効果とその弊害を比べるならば、明らかに弊害が大きいと言わざるを得ない。
今後、世界が平和に生存していくためには武力行使はもちろん、経済制裁という経済戦争も行うべきでない。その上で協調について話し合うべきである。
(民主主義は絶対正義ではない)
米国を代表とする自由主義国(民主主義国)は“民主主義”を“絶対的な正義”として疑わない。しかし、それは間違いである。それぞれの国には個別の事情がある。バイデン氏の定義ではシンガポールは民主主義国ではない。民主主義国家の会議にシンガポールは招待されなかった。しかし、多くの米国の富裕層はシンガポールに家を持ち、G A F Aが進出し、SingaporeはI Tを駆使したモデル国家となっている。西側諸国の首脳は世界の国々の多様性を認めるべきであり、一方的に民主主義を押し付けるべきではない。
民主主義国家、専制国家などが混在し、宗教による対立、民族統一と民族間紛争などを考えると、ある程度のブロック化はやむを得ないだろう。その域内で基幹産業が自己完結出来る体制づくりが必要となるだろう。 同時に、天然資源や気候に影響される食糧生産についてはブロックの枠を越えた流通が成立するような合意が必要だろう。
(民族の統一)
最後に重要なことは民族の統一である。ドイツのような平和的統一が理想だが、現実はそうならない。武力による統一が発生したときにそれを非難するのは当然だが、武力をもって一方を応援することは避けなければならない。兄弟、姉妹が一緒になることに他人が口を出し、世界を紛争に巻き込むリスクを冒してはならない。
ロシアとウクライナの問題は単純な民族統一とは異なるが、大きな意味での民族統一である。過去に存在したソ連が理想なのだろう。ロシアがウクライナを吸収するのではなく、民族的繋がりの強いロシア、ウクライナ、ベラルーシ等が同等な立場で新連邦国家を作ることが解決策だろう。現在のロシアは国土な広大を持ち、核兵器も保有している。しかし、ソ連時代の兵器産業、原発、製鉄などの基幹産業・重要技術は殆どウクライナが持っていたようだ。つまり、頭脳も手足も無くなった巨人ロシアが核兵器を持って怯えているのが現在だ。そしてプーチン大統領は怯えた結果ソ連ではなくさらに帝政ロシアに遡ることを夢見ているように見える。そのような不安定な巨人を新連邦国家の形成で安定に導くことが必要だろう。米英が口出しすることではないのだ。
(北欧の中立国)
今回の戦争で北欧の国が全てNATOに加盟する方向で動いているがこれは残念である。本来であれば世界の中の軍事同盟が小さくなり、中立を唱える国が増えることこそが世界平和の実現への道だろう。今回の動きはそれに逆行している。
人類は気候変動、人工問題など協力して解決すべき問題がある。人類の存続のために1日も早く鉾を納めて欲しいと願います。
答えば分断ではなく、緩いブロック化であり、地球資源と食糧の流通性を維持するところにあると私は考える。