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秋に飽き性について考える

※この文章は秋くらいに書いた文章なので、時系列がずれてます。

頭の中が滑らかに整理されていく。そんな感覚がいま確かにある。
目の裏で血の流れがドクン、ドクンと息づいているように、「いまだ。いまだ。」と囁いてくる。

ちょっと変わった感覚に付き添いながら、いま自分の世界を生きている。

最近本を読むようになった。何を読むのってよく聞かれるけど、あまり決めてない。ふらっと立ち寄った本屋でなんかいいなと思ったものを手にとる。それもまた楽しみなのだ。

そうやって読んでるうちに、(僕は文章を書くのが苦手なんだけど)いろんな人の語り口が僕の中に流れて来て、いま不思議な感覚になっている。

僕は昔から飽き性で、それが嫌で仕方なかった。だって周りの人は、自分を持ってて、それでいて自信に溢れてるから。
僕はいつも教室の端っこで、窓に切り取られた空を眺めながら、あゝ君も僕と一緒なんだね、なんて言いながら一人で笑ってた。

でも最近になって、飽き性も案外悪くないなって思うようになった。この変化は自分に取ってもすごく不思議で、面白い感覚である。

21年生きて来て、今までちょっとだけ〜って言いながらつまみ食いしてた世界が、点と点がつながるみたいに、滲んだ絵の具が重なり合って綺麗な絵が出来上がるみたいに、とても綺麗に色づいてきた。

僕みたいに飽き性な人は、きっと世の中にたくさんいるし、そういう人はいつだって、自信がある人を見上げては、自分じゃ足らないと嘆いてる。

でも、その中の一人だけ、戒めしてるのは僕だけだけど、こんなに世界は色づいている、昔絶望したあの世界、白黒にしか見えなかったのに、今はこんなにも色づいてるんだ。

「飽き性ってのは強いから、いろんなことに興味を持てるってことだから。だから誰より世界の広さを知ってるんだよ」

って、昔の自分に大きな声で言ってあげたい。今君が見てる世界は、こんなに広い世界のたったの一片でしかないんだって、示してあげたいなぁ、って思う今日この頃です。

人生は終わることのない「飽き」なのだと、そう伝えたい。

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