見出し画像

どう死ぬべきかはどう生きるかということ

私はつい最近まで、死ぬならガンで死にたいと考えていた。
自分の死期がわかればいろんな準備ができる。会いたい人に会っておく、行きたいところに行っておくなどなどと。
しかし、今の私は違う。とても大切な友達がガンと闘っている様を間近で見守っている。壮絶だ。
彼女を前にして『ガンで死にたい』など甘っちょろい考えは吹き飛んだ。
彼女は生きるためにガンと闘っている。
家族にとっても闘いだ。
自分の死に方などあらかじめ決めるなどとは考え違いだった。
どう生きるをその時その時に悔いのないよう決断してその先に黄泉の国がある。
それでも、もしガンになったら…
抗がん剤はどうするか、放射線はどうするか。辛い体で判断することばかり。
その判断を私は家族に委ねることだけはしないでおこうと思う。
重い重い十字架は自分で背負って行こうと思う。
『本人の希望通りにおくりました』と家族に言って欲しい。
結果、経過は誰にもわからない。
だからこそ私の希望をこれから少しずつ考えよう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?