愚かしく残酷なコミュニティ・禪院家について

※原作17巻までのネタバレをガッツリ含みます。
※ファンブック未読なので、公式設定を無視している記述があるかもしれません。
※また、怒りで冷静な判断ができていない可能性も高いです。

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呪術廻戦17巻を読んだ。

既に週刊少年ジャンプで数ヶ月前に読んでいたのだが、ある程度のまとまりを一気に読むと、しんどさがより濃縮される気がする。

さて、今回は禪院家について感じたこと、考えたことを書いていこう。

禪院家。「御三家」の一角でエリート術師の家系。『禪院』にこだわり、「禪院にあらずんば呪術師にあらず、呪術師にあらずんば人にあらず」などと言い出す、ちょっと……いや、かなり手遅れな一族である。

平凡な出自の私には縁がないので詳しくないが、創作でたまに見かける「一族」(=歴史が長く、一族であることにプライドがあり、親戚同士の結びつきが深い)は排他的かつ男尊女卑が染み付いている確率が高い気がする。(綾崎作品の舞原家とか)

禪院家の嫌なところを煮詰めてさらに悪意を練りこんだような人物・直哉の発言に気分を悪くした読者も少なくないだろう。というか、直哉の発言に何も感じなかった人は「基本的人権」について学び直した方がいい。

呪力がなければ存在価値はない。女は子供を産むための存在。そんな価値観の直哉にとって、「呪物も見えない女の真希」は二重の意味で人権を無視していいポジションだった。だから、かなり年の離れた女の子をボコボコにいじめることすら日常だった。

直哉の性格の悪さがどこ由来なのかは知る由もないが、その価値観は間違いなく禪院家の教育の賜物である(もちろんこれは皮肉)。

直哉は回想シーン(おそらく小学生くらい)の時点で既に「禪院家には落ちこぼれがいるんやって 男のくせに呪力が1ミリもないんやって」と、嬉々として甚爾の顔を見に行っている。

「禪院家の当主になることは素晴らしい栄光」と刷り込まれた上で、「お前は才能がある、次期当主はお前だ」と言われたら、幼心に舞い上がってしまうのだろう。外の世界を知らないのである。呪力があったって企業の内定は貰えないのに。(呪力がなければ人でないという教育を受けていたら、外の世界を知ろうとも思わないのだろうけれど……)

井の中の蛙は、呪力を持たない「底辺」を見てふんぞり返るつもりだった。しかし格下だったはずのその男は、呪力以外の強さを持っていた。天与呪縛、フィジカルギフテッドである。

天与呪縛がどの程度の確率で発生するかはわからない。同世代で真希のみならずメカ丸も該当するのなら、案外よくあることなのかもしれない。たとえるなら、双子が生まれるくらいの確率。しかし、甚爾と真希はあまりにも近いのではないだろうか。術師のエリート家系と呼ばれる禪院家で、呪力を持たない従兄弟同士なんて。

これは単なる推測に過ぎないが、禪院家は数百年にわたり近親婚を繰り返してきた一族ではないか?と思っている。さながらハプスブルク家のごとく。

『禪院』にこだわり、「禪院にあらずんば呪術師にあらず、呪術師にあらずんば人にあらず」などと言い出す一族である。特に当主の子供たちなら、より血統が重視されるだろう。(呪力を持たない甚爾と、甚爾が「外」で出会った女性の間に生まれた恵が次期当主に任命されたのは、彼の圧倒的ポテンシャルと五条悟・加茂憲紀との関係性が生み出した異例の抜擢だといえる)。

また、先ほど述べた甚爾と真希の天与呪縛も近親婚の弊害ではなかろうか。近親の間にできた子どもは先天性障碍や早死のリスクが高まるのと同じように。

この仮定が正しいならば、真希と真依の母親も禪院の血を引いていることになる。引いていなかったとしても、禪院家に縛られて生きてきたことは確実だ。直哉に兄弟がたくさんいる(=直毘人に子供がたくさんいる)のと違い、彼女と扇の間には真希と真依だけ。「落ちこぼれ」の娘を産んでしまったのだと、肩身の狭い生活を送ってきたはずだ。真希真依に妹・弟("名誉挽回"するためのさらなる出産)がなかったことから、子供ができにくい体質だったのかもしれない。

「一度くらい産んで良かったと思わせてよ…真希」と実の娘に言い放った彼女は、最期に直哉を刃物で刺し殺すタイミングでやっと「あ”ぁ……産んで……よかった……」と口にする。あまりにも地獄だ。

術師でなければ人ではないという馬鹿げた考えのせいで娘をきちんと愛してやれなかった彼女は、自分と娘を人間扱いしなかった禪院に対して報復することで、やっと自分たち母娘を肯定できた。そうだとしたら、こんなに悲しいことは無い。

産んでよかった、は解釈が別れそうなところであるが、私個人としてはこの悪しき連鎖(禪院家)を母娘3人で絶ったことに安堵しているのではないかと思っている。

外の世界と隔絶したコミュニティの中で、誰かを踏みつけにすることを是とする教育が為されていた禪院家は、仮に真希が手を下さなくてもいつか滅んでいたのではないかと思う。

勧善懲悪といった道徳心の話ではない。限定されたコミュニティで弱いものいじめをしたところで、弱いものが何らかの力を手にしたら、刃を向けられるのはいじめていた方。要するに、立場が逆転するという話だ。真依の死をもって「完成」した真希は、甚爾と同じ存在となった。だから禪院家を壊すことが出来た。「今の禪院家が在るのは甚爾さんの気まぐれだ」とわかっていながら、甚爾の件で彼らは何も学ばなかったのである。甚爾が特別なだけで、もうこんなこと起こるまいとタカを括っていたのだろうか。

なんと愚かな一族だろう。

悲劇のほとんどは教育の怠慢かすれ違いから発生するというのが私の持論だが、禪院家が出来上がってしまったのは前者で、真希真依が賢者の贈り物をしてしまって真依が亡くなったのは後者だ。

真依の居場所を作るために、高専に入学し強くなろうとした真希。真希が完全体になるには自分がいなくなるしかないと去った真依。

いや、これはすれ違いというより「似たもの同士」かもしれない。余計に泣ける。こんな悲しいことがあるだろうか。

憎まれ口を叩きながらも、仲のいい姉妹が一緒に大人になっていく未来は、あり得なかったのか。

真希と真依のことを考えると、禪院家に対して怒りがふつふつとこみ上げてくる。愚かなお前たちのせいで、どれだけの人が犠牲になったと思っているんだ。

直哉のこれまでの悪行だって生まれつきの悪意なんかではなく、周囲が次期当主だと誉めそやして天狗にさせて、なんでもやりたいようにさせてきたのが原因だとしたら、彼だってある意味被害者ではなかろうか。禪院家は被害者だった子供が大人になって加害者となり、次の被害者の子供を量産してきたとも言える。

真希真依がその連鎖を断ち切ったことが今後の呪術廻戦にどう絡んでくるか予想もつかないが、術師のパワーバランスにも関わる大きな出来事だということは間違いないだろう。

最後に。真希真依がもしまた双子に生まれ変わったのなら、今度こそ幸せな家庭でめいっぱい愛されて育って欲しいと、心から願う。

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