「ひき肉の夢小説」「呪いの木札炎上」をみて感じる実在事象のエンタメ化とその難しさ
ふと思ったことを書き殴っておく。
いわゆるナマモノと呼ばれるジャンルが二次創作にはあって、それは「現実の世界に存在する人物」を取り扱うことを意味する。 「YouTuberひき肉の夢小説」はこれに当たるもので、炎上したのは、”当人がそれを読んだらどう感じるのか”的な配慮が求められるジャンルだから。
「クラスメイトの男子同士を使って腐ったマンガを描く」「男性アイドルの腐った漫画を書く」みたいな文化は一昔からあり、ぼくは腐女子の恋人が所蔵していたジャニーズの某グループのBLマンガを読んだことがある。 当人が読めば、笑って済むこともあれば衝撃を与えることもあるのはわかる。
これは時代小説でも実はあることで、とある歴史上の人物をモデルにしたキャラクターをめちゃくちゃに扱った場合、その子孫から怒られが発生するなんてケースもある。 ナマモノは、本当にその人物の関係者が存在するからこそ取り扱い注意なのは、こうした時代小説からもわかる。
ただ歴史上の人物を取り扱う際に子孫がどう思うか問題に関しては「平将門の首塚」が最恐心霊スポットの定番となっている事実を平将門の末裔がどう感じているのは知らんのだけれども。
ぼくで言えば曾祖母が廃藩置県によって廃業した紀州呉服屋の娘だが、明治政府に本気の怒りを覚えるわけではない。ただ、ぼくの場合は曾祖母はうちの一族と呉服屋の一族は別物として扱った経緯があり、血は繋がっているが継承したわけではないのが大きいのかもしれない。
さて、実話怪談界隈を騒がした「呪いの木札」騒動の話。 その火元となった怪談師が謝罪動画をあげたことが一件落着にはならず、まだまだ火が燻る気配が漂う。 実話怪談は実話である以上、現実に存在する人物への影響を考えねばならぬコンテンツなのだと改めて感じた。
「東日本大震災は風化していない」の言葉も見たが、まさにそれが大きい。たった10年そこらの話は、昔々の物語とは違う傾向がある。 いまそこに生きている関係者がおり、今回の一件で心痛めた声もネットでこぼされていた。
謝罪動画はお騒がせしたことの謝罪や木札を大事に扱っていることがメインで、映画「先祖になる」には触れなかった。当然、それを作った人物への謝罪の話もなかった。 もちろん、それを作った人物がこの話を知らないのであれば、謝罪することで無駄に心を乱すことにもなりかねないので難しいところだ。
ある種のナマモノである「ウマ娘」の18禁二次創作の禁止の徹底のようなルールは、やはりエンタメがエンタメとして存続する上でそのコンテンツメイカーは考えておく必要があるんだろう。 そんなことを思った。
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