28.そして一人旅が始まる 番外編ーバリ島編~旅は続く。
前回の1年の一人旅を終えて、日本の大学に戻り
何とか大学の単位を全部取得して、無事に卒業出来る事になった。
久しぶりに一人で旅がしたいな、と思い
卒業旅行でバリ島に行く事にした。
中学生の時に家族旅行で行った時の思い出は、あまり良い物では無かったが
前回の旅でインドの魅力にハマり、同じヒンドゥー教の国なので
今なら楽しく旅が出来るかも?と思い3週間の予定で向かった。
成田空港から出る時に、雪が降り過ぎて飛行機が飛ばなくなり
ホテルで一泊する、というハプニングから始まった旅だったが
翌日、無事に飛行機はバリに向けて出発した。
飛行機で隣になったバリ人と話をして意気投合したら
なんと彼がバイクを借りてバリ島を案内してくれる、という。
「本当かな?」とあまり期待せずに税関を通ったら
本当に待っていてくれて、海だったり色んな場所を
案内してくれて、とても良い旅のスタートを切る。
バリではウブドという、絵画と踊りが盛んな山間の村に滞在する事にして
そこで竹で作られたジェゴグという木琴の様な形の楽器の音色に
魅了されて、滞在中のほとんどはお店に通ってジェゴグの練習に
励んでいた。
旅は特に大きな問題も無く終わろうとしていた。
いよいよ日本に帰ろうとバリの空港に着き、「日本に桜を見に行く!」
というカナダ人と話が盛り上がり、さあ僕のチェックインの順番が来た。
「チケットは?」と聞かれて自信満々に旅の予定表のコピーを出す僕。
「これではなくて、チケットは?」と聞かれパニックに。。
今と違って、当時は飛行機の紙のチケットが有りました。
おぼろげな記憶を辿ると。。
空港に向かう前日に、普段はしない荷物の整理をして
何かチケットらしきものを捨てた記憶が。。
一年間世界を旅してきて、海外旅行に自信満々だった僕だったが
当然、話をしても埒が明かず呆然としている僕を尻目に
チケットカウンターは閉まり、飛行機は離陸してしまった。。
当時は、クレジットカードも持たず日本に帰るからと
バリのお金をほぼほぼ使い切ってしまっていた僕。
ダメもとで泊まっていたホテルに行って
捨ててしまったチケットを探す事にして
タクシーでホテルに戻る。
夜中にホテルに着いて尋ねた所、道路を挟んだ反対側にある
ゴミの収集所の捨ててしまった後だという。
まだゴミの収集所には、ゴミは積まれており
朝方ゴミ収集車が来る、との事だったので
ホテルのロビーで仮眠しながら朝日が出るのを待ち
明るくなった途端にゴミ収集所に向かう。
ゴミのほとんどは草だったが、物凄い量で
この中から自分の飛行機のチケットを探すのは
とても大変に思えたが、他に方法もないので
本気でゴミ山の中からチケットを探す。
そしたら、何とゴミ山の中から飛行機のチケットを
奇跡的に発見!!
「これで無事帰れる!!」と喜び勇んで空港に戻り
チケットカウンターで帰りのチケットを見せたのだが、
なんと。。。
お金をケチって買ったチケットはFixのチケットで
「日にちの変更は出来ない。」との返事。
ろくに睡眠もせず、頑張ってきたのだが
ついに緊張の糸が切れて
その場に座り込んでしまう。。
万事休す。
もう本当にどうしようもなくて
本当に途方に暮れた。。
飛行機のチケットを新しく買う以外に方法がないので
自営業の日本の叔父さんなら電話が繋がるだろうと電話をかけると
無事繋がった!
何とか送金して貰おうと話をするも時間は3時ギリギリで
銀行には間に合わないだろう、との事。
しかも電話したのは金曜日。
次に銀行が開くのは月曜日なのだが、さらに悪い事に
春分の日3月21日が月曜日の為、銀行が開くのは火曜日。。
とすると、どんなに頑張っても3日間を空港で過ごさなくてないけない。
タクシー使ってホテルを往復したので、現金も殆ど無い。。
絶体絶命。。
何をする気力もなく、空港でうなだれて涙を流しながら
座っていた。
何でこんな事になったんだろう??
どうする事も出来ず空港で途方に暮れていると
心配して話しかけてくれたバリの人達。
しかし以前イランで怖い目に遭っているので
「家に来い!」と言われても素直に信じる事も出来ずに
時間だけが過ぎていく。。
最後にもう一度叔父さんに電話して、「何か方法が無いのか?」
尋ねてみたら
何と奇跡を起こしてくれた!!
銀行は間に合わないので、旅行代理店のHISに連絡して飛行機のチケットを
買ってくれて、現地のHISで入金が確認されて無事チケットが発券されて
その日の夜に飛行機に乗って日本に帰れる事に!
当日のチケットだったので、ファーストクラスしか空いてなかったが
それでも「九死に一生を得る」とはこの事!
なんとか無事に日本に帰る事が出来た。
バリマジックと言って色んな不思議な話を聞いていたが
本当に「魔が差す」というのか
単にアホなのか?分からないが
またまた大変な体験だった。