下手な稽古と万年稽古(ダメな稽古)
ネット上にあまり関連記事がないのでまとめてみました。
下手な稽古とダメな稽古
出典は武術家 黒田鉄山師範の著作です。意思によって体の動かぬ所を働かせようと稽古する際の教えです。
出来ないこと、それが駄目なことを意識して、静かに稽古を重ねるのである。
これを「下手な稽古」という。
下手な稽古には上達の道が拓けているが、自分の身体が動かぬことを意識せずに、悪しき日常動作のまま自分勝手に動くものにはそれがない。
それは万年稽古と言い、いつまでたっても駄目なままで、術技は上がらない。
いくら太刀や竹刀の操作が敏速、俊敏になっても、それは運動競技的価値判断に基づくものであって、ただそれだけでは武術的には無であることには変わりはないのだ。
意念、意思によって体の動かぬ所を働かせようとすれば、同じ人間でも、その稽古内容の次元が大きく変わる。
「下手」と「駄目」との差は、自覚的にも他覚的にも比べようのないほど大きなものである。
正しい方向づけを意識するからこそ、極めて静かな稽古というものが重要な意味を持ってくるのである。
黒田鉄山先生著 『気剣体一致の武術的身体を創る」』BABジャパン刊 https://houfuaikikenkyukai.webnode.jp/news/%E4%B8%8B%E6%89%8B%E3%81%AA%E7%A8%BD%E5%8F%A4%E3%81%A8%E9%A7%84%E7%9B%AE%E3%81%AA%E7%A8%BD%E5%8F%A4/
「型は、技そのものであり、理論そのものである。その動きは、軽く、柔らかく、速く、静かで浮いている。しかも、美しく、動きは消える。これが古伝の日本武術の世界である。」黒田鉄山『気剣体一致の「改」』より
— 平田 崇 (@takasi_tao) June 15, 2013
静かな稽古
以下の効用あります。
「速い動作を行うと感度が鈍る」という今回の実験結果から判断すると「フォーム矯正はできるだけゆっくりした動作で行うことが重要である」といえるだろう。ヨガや外気功などの東洋的身体訓練は「できるだけゆっくりした動作」で行うように指導されるが、これらは深部にある筋感覚を認識しそれを動作のなかで使いこなすための有効な方法論
武技の量質転化
南郷継正の武技 量質転化理論
武道家南郷継正師範は、空手など武道の武技の習得は基本型を2万回反復を要すこれが弁証法の量質転化である、としています。
また、生活体を自然成長の人間体から武道体へ変えるともしています。
南郷理論への批判
武技の量質転化稽古について批判があります。
南郷さんは、真正な武道の鍛錬の中での本当の意味での「量質転化」が、どういう事を指しているのかが、全く分かってないんです。正拳突きや前蹴りを100回やればいいってもんじゃないんです。
一口に、正拳突きとか、前蹴りとか言っても、それをマスターするために色んなイメージトレーニングが必要なんです。それを長い時間をかけて、一つ一つ動きに乗せっていって、そういう動きが、質的に技と呼べるモノに転化していくんです。そう言う科学的な訓練方法を積めば、一回の稽古で100回も突いたり蹴ったりしなくても、一年もあれば、充分、技と呼べるモノに仕上がります
一万時間
有名な一万時間の練習についてです。これは実は反復練習のことではなくDeliberate Practiceを要するものでした。
「量をやることが大切」とはよく言われるけど、何も考えない単純作業だけを積み重ねる人がいる。せっかくの努力だが、時間の浪費になりかねない。
— 松本淳|アースメディア代表|HRギルド主宰 (@Jn_Matsumoto) February 10, 2020
ひとつひとつをおろそかにせず、多く学びを得る。持てる知恵を総動員して、改善を続ける。そうやってはじめて、「本物の高い質」を得ることができる。
エリクソンの「考えられた練習 (aka 限界的練習)」ですね。
— Kazuya Takahashi | 髙橋一也@ELSA (@kz8_takahashi) February 10, 2020
Deliberate Practice by K. Anders Ericsson
1000時間の積み重ねも、考えないで繰り返した場合、
あまり効果ないという研究。 https://t.co/DNsgpEOWfd