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歴史上の鉛中毒

 歴史にでてくる鉛中毒関連記事です。


古代ローマ

 古代ローマの実際の鉛の汚染についての論文は少ないのです。

 女性の鉛白のおしろい使用、水道の鉛管、ワインの釜やジョッキ、甘味料が鉛だそうですが、当時の人骨など鉛濃度高低は論文により定説はなく、よくわかりませんね。

 以下いくらかリンクしておきます。

全土の汚染

 ローマ帝国全土の鉛汚染という研究


Pan-European atmospheric lead pollution, enhanced blood lead levels, and cognitive decline from Roman-era mining and smelting
https://www.pnas.org/doi/10.1073/pnas.2419630121

鉛の水道管

ローマ帝国滅亡の一因としてローマ人の鉛中毒を挙げる説があるくらいだが、地中海地方、一般にヨーロッパ大陸の水はかなりの硬水であり、水に含まれる炭酸カルシウムが管内部にすぐに付着(コーティング)することで水道水が直接、鉛管に触れることはなかったから、健康上の大きな問題にはいたらなかったと推測される。つまり、「ローマ帝国滅亡の鉛中毒説」は俗説と思われる

https://gendai.media/articles/-/127626?page=3

ワインの鉛甘味料

ベートーヴェン

江戸

 今ではライトノベルにも登場するおしろいの鉛中毒について。

おしろいによる鉛中毒

将軍の乳母たちは鉛を含んだ白粉を使い、顔から首筋、胸から背中にかけて広く厚くぬった。抱かれた乳幼児は乳房をとおして鉛入りの白粉をなめる。乳児も白粉を顔や首にべったりぬられた。鉛は体内に徐々に吸収され、貧血や歯ぐきの変色、便秘、筋肉の麻痺などがおこり、脳膜の刺激症状が出ることもある。後遺症として痙性麻痺や知的障害がのこるケースもあった。鉛中毒は将軍の子女のみならず当事の大名や公家など上流階級にはよくみられた疾病だった。

徳川将軍家十五代のカルテ」p.181-182
こんな本を読みました
http://t104.blog72.fc2.com/blog-entry-31.html

江戸の加賀藩邸 溶姫御殿 厠跡から高濃度鉛検出

近世のおしろい鉛論文

19 ~ 20世紀にわが国で使用された含鉛おしろいに関する研究
吉永淳
https://www.kose-cosmetology.or.jp/research_report/archives/2015/fullVersion/Cosmetology%20Vol23%202015%20p173-176%20Yoshinaga_J.pdf

明治の「福助の鉛中毒事件」

鉛白粉から無鉛白粉への転機が訪れたのが、歌舞伎の人気役者が鉛中毒と診断されたことでした。明治20(1887)年4月26日、時の外相、井上馨邸で開催された天覧歌舞伎の数か月後の舞台で、当代随一の女形であった中村福助(成駒屋四代目、下図)が倒れ、その後、日本赤十字社病院の橋本綱常院長が鉛白粉による慢性鉛中毒と診断すると、この事件は大きな衝撃をもって世間に受け止められました。明治10年代の新聞広告ではすでに、鉛白粉の有毒性が指摘され始めていましたが、これを機に、白粉による鉛中毒が、梨園や花街にとどまらない社会問題として注目を集めるようになりました。後年、福助は鉛毒について振り返っていますが、先達の役者に相談した際、「白粉を塗って病気になるなんてそんな理屈はない」(『歌舞伎』(159)【雑35-52】)と一蹴されており、当時はまだ鉛白粉の有毒性があまり認知されていなかったことがうかがえます。

本の万華鏡
第29回 めーきゃっぷ今昔-江戸から昭和の化粧文化-
第1章 江戸時代の化粧
白粉と鉛中毒
https://www.ndl.go.jp/kaleido/entry/29/1.html

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