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教育で人は変わらない という意見リンク
ヒトを変えるのは非常に困難です。
細谷功『「無理」の構造 この世の理不尽さを可視化する』
第22章「啓蒙という幻想 教育は無力か?
大学なんか行っても意味はない?――教育反対の経済学
「教育は魂を涵養する」という価値観に対しては、それは望ましい理想であると主張しつつも、実際の効果はなかなか見えないともいう。文学や音楽、シティズンシップなどの価値の伝達に関して教育は無力であるとして、教養教育に対して懐疑的な見方を呈示
教育で人は変わらない。社長の信念が証明した「人が辞めない組織」の作り方
川北:「教育で人は変わらない」 ということ。マナーやスキルを高めるためのいろいろな研修を実施してきましたが、 相手に変わる気がない限り、どんなに教育をしても人は変わりません。 中には、私が借金の肩代わりをしたり、家庭問題のフォローをしたりしても、恩を仇で返すような形で去っていく人もいました…。そういう経験を重ねる中で、「そもそも人は変わらないのだ」という考えに至ったんです。
経営者の想いが伝わるか伝わらないかも同じです。大量退職があった当時も、現在も、私から社員に毎朝メールを送っているし、年2回ほど全体ミーティングもやっている。何かあれば個別の声かけもしています。 伝え続けることは必要ですが、どんな伝え方をしても伝わるとは限りません。 もっと言うと、伝わらないと思って伝えた方がいい。結局は相手の問題だと思っています。
なぜ人は変われないのか?
Education とはなにか
道徳教育という不道徳 その3(何かが伝わり、残る)
人が人に意識的に教えることができるのは、知識と技術だけである。しかしこの国には昔から珍しくない「教育好き」、あるいは「教育狂」と称すべき人たちは、それ以上を求めたがる。典型的なのが、「知育偏重批判」=「徳育の要請」であろう。
なるほど、区区たる知識・技術より大切な、「真に人間的なるもの」はある。それを子どもたちに伝えようとするのはいけないか? なんとか伝える方法はあり、それができないでいるのは、教師たちが怠慢だからではないのか? さほどの「教育好き」ではなくても、そう聞きたくなる人はいるでしょう。
他でもない、教師や、教師に代わる人が、ある「人間として大切なもの」へ子どもを導こうとするとき、子どもは非常に敏感に、その手つきを見抜くのです。そして、ここでの「教育」は、動機はなんであれ、子どもの心を操ろうとすることであり、そんなことができると、あるいはやる必要があると思われるのは、結局子供だから、一個の人格として尊重される必要はないと思われているからだ、というところまで、感じ取ります。
Education は人間を変えるというコトではない
Education は、道徳教育ではありません。