見出し画像

不可知論的唯物論とは

 筆者の世界観、不可知論的唯物論について記しておきます。


世界観とは


形而上学的観点からの世界についての統一的把握をいい,知的側面ばかりではなく実践的,情緒的側面をも含めた包括的世界把握を目指す。世界観は広く人生観と関連し,哲学ばかりではなく,神話,宗教,文学,美術など芸術の領域にも見出される。

ブリタニカ国際大百科事典
https://kotobank.jp/word/%E4%B8%96%E7%95%8C%E8%A6%B3-86660#E3.83.87.E3.82.B8.E3.82.BF.E3.83.AB.E5.A4

観念論と唯物論

  マルクス主義であったエンゲルスは、『フォイエルバッハ論』で、世界観である観念論(唯心論、不可知論を含む)と唯物論とが、本源が精神か自然かで対立していると主張しています。
 それに加え、世界を創造したのは創造主かそれとも、世界は永遠の昔から存在しているのかでも対立しているとしています。

「すべての哲学の、とくに近世の哲学の大きな根本問題は、思考と存在との関係の問題である。」

「存在に対する思考の位置という問題は、中世のスコラ哲学においても大きな役割を演じており、なにが根源的か、精神かそれとも自然かという問題は、教会にたいしては、神が世界を創造したのか、それとも世界は永遠の昔から存在しているのかという問題にまで尖鋭化していた。

 この問題にどう答えたかに応じて、哲学者たちは二つの大きな陣営に分裂した。自然にたいする精神の本源性を主張し、したがって結局なんらかの種類の世界創造を認めた人々は――そしてこの創造は哲学者のばあいしばしば、たとえばヘーゲルのばあいのように、キリスト教におけるよりもずっと奇妙で馬鹿らしいものであるが――観念論の陣営をつくった。自然を本源的なものと見た人々は、唯物論のさまざまの学派に属する。」

「観念論と唯物論という二つの言葉は、もともと右に述べた以上の意味をもっていないし、ここでもまた他の意味につかってはいない。これ以外の意味をそれにもちこむと、どんな混乱が生じるかは、後にあきらかにされるであろう。」

「われわれ自身がその一部である物質的な、感覚的に知覚しうる、世界が唯一の現実の世界であり、われわれの意識と思考は、それがどんなに超感覚的に見えようとも、物質的で肉体的な器官、脳髄の産物である。物質が精神の産物ではなくて、精神それ自身が物質の最高の産物にすぎない。これは言うまでもなく純粋の唯物論である。」

エンゲルス『フォイエルバッハ論』
――ルートヴィッヒ=フォイエルバッハとドイツ古典哲学の終結――
松村一人訳/岩波文庫(昭和35年5月5日)http://web1.nazca.co.jp/hp/nzkchicagob/DME/Feuerbach_ron2.html

唯物論

 唯物論は、“materialism(マテリアリズム)”の和訳です。

 ラテン語の“materia(マテリア)”から派生です。マテリアは材料のことですが、アリストテレスのヒューレー質料のことでもあります。

質料(しつりょう) (ヒューレーhlē)
 形相(エイドス)とともに、生成する存在者の構成要素をなす。事物の生成は、事物を限定して形成する要素(形相)と、この限定を受け入れる要素(質料)の二要素によって考えられる。アポロンの彫像についていえば、アポロンの形姿は形相であり、石材または青銅材は質料である。動物についても同じように、それをある特定の種として限定しているものが形相であり、肉や骨や筋をなす成分は質料である。

 質料を意味するギリシア原語はヒューレーであって、本来は木材を意味した。つまり「加工を受けて、何かになる元」がヒューレーである。ラテン語でmateriamatter(英語)、matière(フランス語)〕と訳される。英語のmatterは物質をも意味するが、質料としてのmatterは、限定を与える形相に関係して考えられる消極的要素であって、それ自身では無規定な、認識しえぬものであり、それ自身である一定の性質を備えたものとして考えられる物質とは異なる。

アリストテレス哲学の基本概念
日本大百科全書(ニッポニカ)の解説https://kotobank.jp/word/%E3%81%82%E3%82%8A%E3%81%99%E3%81%A8%E3%81%A6%E3%82%8C%E3%81%99%E5%93%B2%E5%AD%A6%E3%81%AE%E5%9F%BA%E6%9C%AC%E6%A6%82%E5%BF%B5-1614434#goog_rewarded

精神・認識の唯物論による解釈

 唯物論では精神・認識は脳の機能ととらえています。

 唯物論では魂、心も脳から発するということです。

機械論と生気論

 生物について唯物論の機械論と観念論の生気論があります。

 霊体などについては、裸の幽霊ではなく、服を着た幽霊しか観測されていないことから、衣服に霊体はないのでby王充、おなじく人間にも、いわゆる物質としての霊体もないことになります。
 また、認識の本源は自然物質脳ですが、その機能により神経電気的像があり、脳内の幽霊像においても電気的ものだといえます。

計算脳科学

 理系の脳の科学研究事例です。

計算脳科学
https://www.jst.go.jp/crds/pdf/2020/FR/CRDS-FY2020-FR-02/CRDS-FY2020-FR-02_20107.pdf

不可知論

agnostic 不可知論

ヒトは本当の世界を知り得ない=不可知である存在

 ヒトは本当の現実世界を100%認識し尽くすことはできません。

われわれはいかにもすべての客体を認識するであろうが、しかしどの客体をも認識しつくし、知りつくし、或いは把握しつくすことはできない

ヨセフ・ディ―ツゲン
三浦つとむ『弁証法はどういう科学か』p.109

 身体の外側にはリアルな物理世界があるけれど、ヒトは脳という器官の機能範囲によってしかそれを感覚できず、そして脳は感覚受容器が捕らえた外界情報を100%正確に感覚できないのです。

 ヒトが、100%を感覚できないという条件で世界を把握するために作った方法が抽象化です。それは捨象で本質と思うもの以外を捨てさる方法でもあります。

 ヒトは個人として未知の体験に遭遇すると、記憶の中から似た前例を引っ張り出してきて、その記憶で知覚を補間する偽記憶であります。

 物理的や社会的に同じ事象に対しても、その個人が持っている体験ライブラリの中身によって補間の方向や度合決まる。
これは現在のAIと類似していると思います。

ヒトは説明できない現象に遭遇しても公にはしなくなった

古代宇宙飛行士説

 非常に好きなのですけど、強力な物的な証拠はないので別に信じてはいません。不可知な事項というだけです。もし彼らが飛来してきても、驚きはちょっとだけするでしょうけど。w

ネクシャリズム ネクシャリスト

いいなと思ったら応援しよう!