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教科書への意見について
「教科書」という制度への疑問
唯一絶対に正しいとされる「教科書」について疑問があります。
かつては花粉がブラウン運動をするという誤解を教科書に採択されていたこともありました。
また教科書にほかにも妥当性が低い記述はあることでしょう。
教科書は、聖書ではない。また、現実の世界は、教科書に収まる世界ではない。実際の世界は、教科書には書かれていない、教科書には書けないことに満ちている。
ところが、学校においては、教科書は絶対である。学校では、教科書に書かれていることには、何の矛盾もなく、間違いもないと信じ込ませる。それを実行しているのが、学校の先生である。なぜならば、試験制度下においては、試験の原典である教科書は、絶対でなければ都合が悪いからである。こうなると、目的より、手段の方が重要になる。かくして、教科書は、宗教の聖典以上に、絶対なものとなる。宗教の聖典に書かれていることは、迷信でも、教科書に書かれていることは、真理である。白いものでも、教科書に黒と書かれれば、黒になるのである。教科書に書かれた英語が、言葉として使い物にならなくても、試験に出る以上、マスターしなければならないのである。
学校においては、教科書に書かれていることが、真実であり、真理である。そこには、現実も事実も入り込むことはできない。なぜなら、教科書こそ学校や教師の権威の源泉であり、試験制度の土台だからである。そして、試験制度によってしか、今の教育制度は維持できないからである。教科書の絶対性が失われたら、試験制度は土台から崩壊し、学校は、生徒を管理する術を失い、教師に対する生徒の信頼は失われる。故に、学校では、教科書に疑問を呈することは、タブーなのである。
現実の社会では、正しい答えであっても教科書に載っていなければ、学校では間違いになる。現実に大学で教わる方法で、高校の試験問題を解けば、答えはあっていても間違いになる。その理由は、高校では、教えていないからである。小学校の時、代数を使えば簡単なんだけどなと、つぶやいた先生がいた。
現実の世界は、教科書に書かれていないものだらけである。しかも、教科書に書かれていないことの方が大切なことが多い。
本来なら、現実を観察し、そこから、学び取る真摯な姿勢こそ教えるべき事である。
教科書を使わない授業
プロフェッショナルな教師の先生は昔から教科書を使わない授業をされていたようです。
他の学校の話を聞いていても、教科書をほとんど使わずにプリントで授業をしている先生はけっこういます。小学校などでもそうですね。
みんなは教科書を使わない先生をどう思いますか。
学校の先生は必ず教科書を使って教えなくてはいけないと言うわけではありません。教科書にのっている"中味"(学習指導要領)を教えなくてはいけないことになっています。昔は教科書通りにしなくてもよかったのですが、最近は一応そういう規則になっています。
私が見てきた"名人教師"の多くは、教科書を使わない授業をしていた。私立高校で教えていたときの先輩は、内容こそ教科書通りだが、黒板とノートと生徒とのやりとりだけで完璧に授業をつくった。研修会で出会った公立中学の先生は、芸術的なプリントを使って天体の模擬授業をされた。今の塾のベテランの国語の先生は、教科書に頼らず文学の知識を自由自在に操って、生徒が心酔する見事な授業をつくりあげている。
教科書のない海外の小学校
海外の小学校には教科書を使わない授業の例がみられます。