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「権利」とはアメリカ人が作った翻訳語
意外と知られていない「権利」の翻訳事情です。
いつも思いますが、海外の概念も本当に理解しがたいものですね。
人権概念の話題
人権に関する書籍の宣伝記事がありました。興味深い「権利」の概念について記述してあります。
「人権はそもそも、キリスト教的自然法思想(とくにロック)に端を発している。その思想によれば、人は生まれながらに生命・自由・財産への自然権を持っており、それは国家というものが成立する以前から存在する権利であった。その自然権こそが人権の母胎なのだといわれている。
したがって、地球上に人類を脅かすより高知能の生命種がまだいない現在のところ、人類という種を存続させるために人権が主張されているわけではない。人権とは、あくまでも人類の内側でのみ通用する、個人やマイノリティの「切り札」なのである。だから、それは人間社会の中で生きる限りにおいてこそ、一人一人にとって大切な、守られるべきものなのだ。」
「条約や宣言があっても、現実の差別や権利の不均衡が完全に解消されているわけではない。また、元はキリスト教に端を発している自然権・人権の観念であるから、現代に至っても全世界の人々すべてが受け容れているわけではないという限界がある。」
関連
「ライト」とは元来正直の義なり。……正理に従人間の職分を勤め邪曲なきの趣意なり。……求む可き理という義に用ることあり。……求めても当然のことと云ふ義なり。……人は生ながら独立不覊にして、束縛を被るの由縁なく、自由自在なる可き筈の道理を持つと云ふ義なり。
福沢の古い記述は、「ライト」が持つ「正義、公正、道理、正しい行為」といった含意を、極めて的確に捉えている。フランス語の「droit(権利・法)」が元来「まっすぐ」という意味であるのと同様、「『ライト』とは元来正直の義」なのである。繰り返すが、「権利」は「力」や「権力」ではない。それは、まさに「正理」であり「道理」に他ならず、力の有無など全く関係なしに「求めても当然のこと」なのである。 このように考えれば、「権利」を意味するフランス語の「droit」が、同時に「法」を意味することも理解できよう。すなわち、法も権利も、共に「正理」であり「道理」であり、それに準拠した要求は「当然のこと」だというわけである。今日の日本において、この基本的な原則は、はたして本当に受け入れられているのであろうか。
権利と権力 光文社メールマガジンhttps://www.kobunsha.com/special/sinsyo/member/serial/pdf/ns009_sm0026.pdf
人権思想の確立にあたっては,ジョン・ロックやジャン・ジャック・ルソーといった哲学者が大きく貢献した。しかし,彼らの基盤となる自然法思想は,社会的存在である人間を個人に還元してしまうものであり,当時の社会的状況に対するアンチ・テーゼの面が強いと言える。
制度イデオロギーとして定着せられた政治的思想・イデオロギーについて簡単な歴史的一瞥を加えれば、古代エジプトやインカにおいて典型的に現出した〈アジア的世界〉では、〈皇帝〉理念に収斂せられた神話的イデオロギーとして現出し、異民族との・戦争と交易の二相を交錯させた・交通関係が盛んであった古代中国においては、呪術的・宗教的な神話的観念を普遍的な哲学的イデオロギーにまで媒介止揚した〈儒教〉として、また、人種的にも文化的にもアーリア的要素と土着的要素との非常に長い年月をかけた支配・抵抗・融合・混淆を経て形成されたカースト制下インドでは、古代のブラフマン信仰に発するヒンドゥー教として現出した。ギリシャとローマに代表される〈古代的世界〉では、〈近代〉の国民国家主義の思想的先駆としての性格をもっている市民的共同体主義として、〈中世的〉ヨーロッパ世界では、カトリシズム・キリスト教として、砂漠的遊牧を中心とするアラブ世界ではイスラム教として、〈近代〉以降においては、広く〈人権〉思想を哲学的・人間的基礎とした国民国家主義として登場した。
-〈官僚〉・〈政治家〉と〈政治〉の規範論的構造
滝村隆一
現代思想2 1974 2-2
権利の翻訳事情
人権・権利というのは翻訳語なので、その事情を紹介してみます。
権利の観念は欧米が起源である。ラテン語のjus,英語のright,ドイツ語のRecht,フランス語のdroit,イタリア語のdirittoという語は、正義という意味も有している。ところが、明治初期に西周あるいは箕作麟祥によって、権利という翻訳がなされて以降、わが国においては、正しいという感覚や人格を脅か
— マテ茶 (@mt__cha) November 25, 2018
されたときに抵抗するという意味が含まれているとは思えない。そして、イェーリングが述べた「労働がなければ財産がないように、闘争がなければ権利=法はない」というような権利観とわが国において一般的な権利感覚との間には大きな相違がある点を踏まえながら学説や判例を見ていくことは極めて重要
— マテ茶 (@mt__cha) November 25, 2018
西周によるドイツ語Rechtの翻訳
Rechtとは利益のうち法的に保護されたものをいう、という権利利益説の定義を前提に訳すなら、権理ではなく権利が自然ですよね。「権利」という訳語を定着させたのが西周なら、西は権利利益説の代表者イェーリングの翻訳者でもあるから、「権利の利は利益をイメージさせる」というのは意図的なのでは?
— dtakaoka (@Daistakaoka) April 29, 2024
石塚・柴田『哲学・思想翻訳語事典』(論創社)の「権利と義務」(堅田剛)の項によると、西周はイェーリング『権利のための闘争』翻訳(1872)の際にRechtに権利という語をあてた。だが独Richtは英rightと違って主観的・客観的の二つの意味がある
— 増田聡 (@smasuda) August 4, 2011
ごめん『権利のための闘争』翻訳公刊は1886年。1872は原著出版年 RT @smasuda: 石塚・柴田『哲学・思想翻訳語事典』(論創社)の「権利と義務」(堅田剛)の項によると、西周はイェーリング『権利のための闘争』翻訳(1872)の際にRechtに権利という語をあてた。
— 増田聡 (@smasuda) August 4, 2011
福澤諭吉による英語Rightの翻訳案
「権利」と言うと何か利己的なことのように思ってしまいますが、しかし「right」は正しいという意味ですから、本来そうあるべきだ、道理だ、という意味で「権理」の方が適当。福沢諭吉は『学問のすすめ』の中で、人間の平等の問題として「権理通義」を繰り返し説いています。https://t.co/3jxKxe4ay8
— 小島道裕@平和・人権史観🍉 (@kojimam1956) May 4, 2024
「権利」とは「正当」ということです。
— まるがお (@maru_tetsugaku) September 1, 2018
「権利」は江戸時代末期以降の訳語ですが、元の言葉(right, Recht, droit, regt)はいずれも「正しい」「正当」という意味があります。
福沢諭吉は『西洋事情』で“right”を「通義」(道理といった意味)と訳しました。
「権利」は「利権」ではありません。
実は「権利」という訳語はアメリカ人が作った
William Alexander Parsons Martinウィリアム・アレクサンダー・パーソンズ・マーティン(1827〜1916)が『万国公法』を和訳した時Rightを「権利」と訳し、それが定着したそうです。