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「権利」とはアメリカ人が作った翻訳語

 意外と知られていない「権利」の翻訳事情です。
いつも思いますが、海外の概念も本当に理解しがたいものですね。

人権概念の話題

人権に関する書籍の宣伝記事がありました。興味深い「権利」の概念について記述してあります。

「人権はそもそも、キリスト教的自然法思想(とくにロック)に端を発している。その思想によれば、人は生まれながらに生命・自由・財産への自然権を持っており、それは国家というものが成立する以前から存在する権利であった。その自然権こそが人権の母胎なのだといわれている。

したがって、地球上に人類を脅かすより高知能の生命種がまだいない現在のところ、人類という種を存続させるために人権が主張されているわけではない。人権とは、あくまでも人類の内側でのみ通用する、個人やマイノリティの「切り札」なのである。だから、それは人間社会の中で生きる限りにおいてこそ、一人一人にとって大切な、守られるべきものなのだ。」

「条約や宣言があっても、現実の差別や権利の不均衡が完全に解消されているわけではない。また、元はキリスト教に端を発している自然権・人権の観念であるから、現代に至っても全世界の人々すべてが受け容れているわけではないという限界がある。」

https://gendai.media/articles/-/144426

関連論文

人権思想の確立にあたっては,ジョン・ロックやジャン・ジャック・ルソーといった哲学者が大きく貢献した。しかし,彼らの基盤となる自然法思想は,社会的存在である人間を個人に還元してしまうものであり,当時の社会的状況に対するアンチ・テーゼの面が強いと言える。

https://mpu.repo.nii.ac.jp/records/316

制度イデオロギーとして定着せられた政治的思想・イデオロギーについて簡単な歴史的一瞥を加えれば、古代エジプトやインカにおいて典型的に現出した〈アジア的世界〉では、〈皇帝〉理念に収斂せられた神話的イデオロギーとして現出し、異民族との・戦争と交易の二相を交錯させた・交通関係が盛んであった古代中国においては、呪術的・宗教的な神話的観念を普遍的な哲学的イデオロギーにまで媒介止揚した〈儒教〉として、また、人種的にも文化的にもアーリア的要素と土着的要素との非常に長い年月をかけた支配・抵抗・融合・混淆を経て形成されたカースト制下インドでは、古代のブラフマン信仰に発するヒンドゥー教として現出した。ギリシャとローマに代表される〈古代的世界〉では、〈近代〉の国民国家主義の思想的先駆としての性格をもっている市民的共同体主義として、〈中世的〉ヨーロッパ世界では、カトリシズム・キリスト教として、砂漠的遊牧を中心とするアラブ世界ではイスラム教として、〈近代〉以降においては、広く〈人権〉思想を哲学的・人間的基礎とした国民国家主義として登場した。

〈政治家〉論
-〈官僚〉・〈政治家〉と〈政治〉の規範論的構造
滝村隆一
現代思想2 1974 2-2

権利の翻訳事情

 人権・権利というのは翻訳語なので、その事情を紹介してみます。

西周によるドイツ語Rechtの翻訳

福澤諭吉による英語Rightの翻訳案

実は「権利」という訳語はアメリカ人が作った

 William Alexander Parsons Martinウィリアム・アレクサンダー・パーソンズ・マーティン(1827〜1916)が『万国公法』を和訳した時Rightを「権利」と訳し、それが定着したそうです。

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