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日本で毎食違うメニューを調理するようになったわけ
毎日三食のメニューを考えて調理するのはたいへんですね。そこでこんな面倒なことを引き起こした犯人を捜してみました。
江戸時代までは庶民は一汁一菜
穀物主食を大量に食べていました。
明治・大正時代
カギというか種はこの時代にまかれていました。
なぜ昭和のおばあちゃんは家庭料理を伝えなかったのか
食生活の大変化が原因です。
日本の料理はたいへん
現代に家庭調理をするとたいへんです。
アメリカの洋食推進運動
アメリカが犯人でした。また厚生省の栄養担当も推進者でした。
【政治🏛 】「米を食うとバカになる」と洗脳された…日本人の食生活を激変させた洋食推進運動の恐ろしすぎる内容
— PRESIDENT Online / プレジデントオンライン (@Pre_Online) November 25, 2022
なぜ日本の食料自給率は低いままなのかーー 東京大学大学院教授の鈴木氏は、その理由は洋食推進運動と関係があると語ります。#プレジデントオンライン https://t.co/EkixUsY9iD
これですね。
— ヤマスグリ(山酸塊) (@yamasuguri) August 1, 2019
栄養改善普及運動の歩みhttps://t.co/jlU0cO107H
そしてその運動でのスローガンで、やたら粉食(小麦食)を推しまくります。
・粉食をもっととりましょう
・1日1回粉食を
・もう1匙の油を
・健康の近道は粉食から
・きょうの献立おいしい粉食
戦後の厚生省に新設された栄養課の課長補佐となり、1953(昭和28)年に課長に昇進し、その後10年間にわたって栄養改善運動を推進した大磯俊雄氏は、著書『栄養随想』(医歯薬出版、1959年1月)において次のように述べている。
「米を食う人々の性格と麦を食う人々の性格は自ら異なるところがあって、前者の、在るから食うという考え方に対し、後者は食うから在るのだという考えを持っている。これは共にその食べ物から来る考え方であって、前者が諦観的、消極的なのに反し、後者の方が進歩的、積極的ではなかろうか?」
「小麦粉それ自体そのまま捏(こ)ねて食べたところで一向に美味しいものではない。そこで何とかうまく食う工夫はないものか? 牛乳や乳製品を副(そ)えたらどうか、肉を副食として食ったらどうか? 野菜のスープと一緒に食べたら食べられぬものかといった具合に、大いに工夫して、今日の小麦中心の食生活文化が発達してきたものである」
「(米中心の食生活は)勢い、生活は簡単、消極的となり、従って金もかからず金の要求も少ない。その結果は残念ながら、貧乏につながってくるのである。即ち、米を食うという生活は人をして消極的になり、勤労意欲を消滅し、従って貧乏となる。貧乏になれば、肉や魚や野菜を購(あがな)う力がないから、やはり廉(やす)い米ばかりをたら腹食うということになり、その結果は、必然的に睡気(ねむけ)をもよおし、思考する方向に頭脳が働かぬということになる。この因はこの果を生み、米を食う習慣は貧乏と一つの環をなして回転しているように思われる。東南アジアに住む10億の米を作り、米を食う民族は、等しくこの運命にさらされていると思う」
「この人達は、あまりにも米中心の食生活のため、そこから必然的に生まれてくる栄養欠陥を身につけて、体力は欧米の小麦食の人々に劣り、寿命は短く、乳幼児の死亡率は高く、結核やトラホームなどの慢性病、また胃の酷使による胃腸病は著しく多い。その上精神的にもねばりの強い積極性を欠き、発明、発見、工夫なども残念ながら欧米人よりも少ない」
「私どもをはじめ、東南アジアの各民族、これらはみな米を中心とした食事をする民族であるが、これらの民族が、今後地球上で西欧の民族と肩を並べて繁栄していくためには、どうしても、米とのきずなをどこかで断ち切らねばならない」
「従ってできるだけ米食を減じて、進んで小麦食を併用することに努め、自然と食生活上の栄養的工夫を身につけるよう心がけるべきだ」
戦後の日本の栄養行政の推進役であった厚生省の栄養課長が「コメはダメだ」「メシよりパンとミルクだ」と考えて栄養改善運動(=粉食奨励・牛乳普及運動)を推し進めたのである
栄養改善普及運動の歩み
https://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/eiyou-syokuji2/dl/03.pdf
粉食の由来
栄養改善普及運動の目的は、米国の余剰食糧を消費するマーケットの開拓と、日本人の舌を西洋食材に馴れさせて、将来にわたりマーケットを確保することでした。
— ヤマスグリ(山酸塊) (@yamasuguri) August 1, 2019
日本人の粉モン好きの陰に潜むフライパン運動とは?https://t.co/LG1CTbws8E
「当時は世界の農業生産力が高まっており、米国では小麦の生産過剰が問題となっていた。
そのため、米国は日本に余剰小麦を輸出しようとする。
その売り込み戦略として展開されたのが、悪名高き「洋食推進運動」である。
「日本人の食生活近代化」というスローガンのもとに、「栄養改善普及運動」や「粉食奨励運動」が日本各地で展開されることになった。
これらはまさに、欧米型食生活を「崇拝」し、和食を「排斥」する運動だった。
キッチンカーという調理台つきのバスが二十数台も用意され、それらが分担して都市部から農村部まで日本全国津々浦々を巡回し、パン食とフライパン料理などの試食会と講演会を行った。」
こうして日本の食はアメリカに握られた
PRESIDENT Online
鈴木 宣弘
https://president.jp/articles/-/63618?page=3
キッチンカーの実態
アメリカからの資金で購入されていたそうです。
キッチンカーは、それまでの『ご飯に味噌汁、漬物」という日本人の伝統的な食生活を欧米型に転換させる「栄養改善運動」のかなめとなった。アメリカは必ず食材に小麦と大豆を使うことを条件に全ての費用を出した
https://www.amazon.co.jp/
「アメリカ小麦戦略」と日本人の食生活-鈴木-猛夫/dp/4894343231
https://smartagri-jp.com/agriculture/1329
かなり難しいですね。
— 彩瀬 潤 (@pixl_jasa) May 17, 2017
戦後に、GHQ+厚生省が結託してパン食、ハンバーグ等、洋食文化をキッチンカーという大型バスを改造したやつで、実演宣伝して全国津々浦々回って始めたので、戦後生まれは洋食で育ちました。洋食で育った世代は、大人になっても洋食・小麦粉食を食べ続けますから pic.twitter.com/ZAAodMbvVj
キッチンカー政策はそのまま各県保健所の栄養指導車に引き継がれ昭和後期まで栄養改善業務が行われました。
資料
固定ツイに書いてますが、国会図書館のHPでこの時の食料政策のGHQのSCAPINという指令書は閲覧できますhttps://t.co/Yva4hhy8lG
— 彩瀬 潤 (@pixl_jasa) May 17, 2017
https://t.co/RnbW47gxRI
— 彩瀬 潤 (@pixl_jasa) November 15, 2016
SCAPIN-1988(学校給食で脱脂粉乳配布指令
SCAPIN-730・818(日本政府への米国産小麦粉引き渡し)
SCAPIN-284(生鮮食料の配給) pic.twitter.com/RSuYe4Wskm