見出し画像

アルプスの少女ハイジにでてきた黒パンと白パン文化

黒パンと白パン

 欧米では小麦「白パン」が主流です。ところが2010年のパンの売り上げでは、ライ麦などの「黒パン」の売り上げが増加し、白パンが減少していました。

 元々王族貴族や金持ちは、白パンを、庶民は黒パンを食べていたようです。それゆえ白パンは黒パンより高級という観念が強かったのですが、黒パンを食べ続けていたロシアなど今も黒パンは愛し続けられているようです。

アルプス山中でも、以北のドイツでも、王侯貴族や都市のブルジョワたちは、つねに白パンを食べていた。9世紀のカール大帝は、白パンを焼けるパン職人を特別待遇していたし、15世紀にアルプス山中を旅した人物の日記には、貴族の城で “羽根のように白くてふんわりしたパンを食べた” こともしるされている。現在は白パンの国、フランスでさえ、フランス革命以前は、真っ白なパンは上流社会だけのもので、民衆は黒いパンしか口にできなかったのだ。ハイジの時代にも、白パンはいぜんとして都市の金持ちしか食べられなかった。

白パンと黒パン

ハイジの黒パン白パン


ハイジの日常食 黒パン

 ハイジの食事は黒パンとチーズですが、毎日食べていたかどうかはわかりません。ライムギパンではないそうです。

『ハイジ』原文では「黒パン」は "haltes, schwarzes Brot" ……堅くて、黒いパン。

ハイジの黒パンは、要するにライ麦パンか?という質問をよく頂くが、少し違う、とお答えしておこう。原文にも「ライ麦パン Roggenbrot」とは決して書かれていない。

貧しい山岳地帯では、そもそも単一の材料でパンを焼くことそのものが贅沢。精製度の低い小麦粉のほか、大麦、燕麦、ライ麦、時には雑穀や栗、ジャガイモなど、その時々で入手できるものがパンになる。

そんな材料で作った生地は、発酵させてもそれほど膨らまず、焼き上がりもガッチリと堅くなる

https://geocity1.com/hugu9een/essey1-03.html

「ハイジの山小屋での食事 — 黒パンとチーズとミルクの組み合わせは、コンパクトな完全食である。が、実のところは、こうした山岳農民は、毎日のようには黒パンさえも食べられなかったことを記しておこう。エンバクの粉でつくったカユをすすることの方が多かったのだ。『ハイジ』 を改めて読んで」
「農民の食事について、具体的記述が乏しいのはどうしたことか。作者の、観念的な、白パン族としての一面を垣間見るようである。」

https://funadaeiko.wordpress.com/%E3%82%A8%E3%83%83%E3%82%BB%E3%83%BC%E9%9B%86/%E7%99%BD%E3%83%91%E3%83%B3%E3%81%A8%E9%BB%92%E3%83%91%E3%83%B3%E3%83%BB%E5%B1%B1%E7%BE%8A%E9%A3%BC%E3%81%84%E3%81%AE%E6%9A%AE%E3%81%97%E3%83%BB-%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%97%E3%82%B9%E3%81%AE%E9%A3%9F/

ハイジの白パン観

 黒パン地域の庶民は、白パンは病人や老人食と思われていたようです。ロシアでは今でも白パンが病人食のようです。理由は以下のようです。決して白パンが柔らかいからではないそうです。

「黒パンについてもロシア人は白パンを尊ぶというような記述があるが、そうではない。ロシア人にとって黒パンは日本人の米のようなものである。」

「黒パンと言ってもライ麦100%の黒パンはボロヂンスキーぐらいで、一般に出回っているのは小麦粉が混ぜてある灰色パンсерый хлебである。黒パンだけだと消化が悪い(腹もちはいいが)ということらしい。それゆえ病人には白パンを出す。日本で言うお粥代わりである。」

(261) 「シベリア記」、加藤九祚、潮出版社、1980https://web.archive.org/web/20200115023042/http://rosianotomo.com/blog-anekdot/archives/2013/01/593.html

「『ハイジ』に登場するさまざまなキーワードの中でも、とりわけ印象的なことば「白パン」。
これは原作ではSemmel ゼンメルと表記されている。ゼンメルは手のひらに乗るくらいの小型のパンの総称で、表面に王冠に模した5本の筋がつけられた、白パンの「カイザーゼンメル」がその代表格。ドイツからオーストリアあたりにかけて、いちばん一般的とも言えるパンだが、不思議とスイスではあまり見かけない。」

「この「白パン」、柔らかいふわふわパンのイメージを持っている人が多いと思うが、実はそんなに軟弱なものではなかった。食べ心地はしっかり焼いた小型のフランスパンとほぼ同じ。」

https://web.archive.org/web/20050521232035/http://www.geocities.jp/hugu9een/zakkicho/CHzakki03essen.html

ロシアの庶民の日常食 黒パン

 今も黒パンが人気なロシアのパン事情です。黒パンが固くすっぱいのは独特の発酵法によるものだそうです。ロシアの庶民はすっぱい黒パンがないとだめなようです。

黒パンですがロシアを代表する食べ物でライ麦から作られています。簡単に説明すると、「硬くて酸っぱい」です。なぜ硬くて酸っぱいかというと、普通のパンはイーストで発酵させますがこの黒パンはサワードウというもので発酵させるため酸味が強くなります。そしてライ麦を使うことで小麦のパンよりも膨らみが悪くなるので固く密度が高くなるのです。

https://web.archive.org/web/20210303141005/https://osoroshian.com/archives/24615094.html

「ロシアで主に食べられているパンは黒いライ麦パンです。レストランなどに行くと必ずテーブルの上にスライスされた黒いパンが置かれていて、これはもう日本食で言うところのお通しのようなもので、客が来るとメニューと一緒に皿に盛られて黒いパンが出てきます。

 食べてみると噛み切るのにも一苦労するほど固いパンで、口の中の唾液がいくらあっても足りないほど飲み込むまでが苦労する代物です。これに硬いマーガリンを塗りたくって食べるのですが、歯はもちろん、あごの筋肉も丈夫でなければ食べられません」

「USAなどではダンクと言ってパンをスープなどにつけて食べる食べ方が認められていますが、ロシアではお下品極まりない食べ方とされています。以前、ホテルで朝食を取っていたらコーヒーに黒パンを浸して食べていた一団がいましたがアメリカ人でした。さも汚らしい行為を見るような目つきでロシア人ウェイトレスがにらんでいました」

https://web.archive.org/web/20050209104739/http://byeryoza.com/topic/log2004b/kuropan.htm

「A・Sプーシキンは」「コーカサスを訪れ、グルジア軍事道路の建設現場で働からされているトルコ人捕虜たちが、ロシアの酸味のある黒パンに辟易して故国のラバシ(丸い扁平の白パン、インドのナンに相似)を懐かしがって苦しがる様を観察する。」
…数日後…プーシキン自身が…アルメニア…黒パンの無いラバシだけの生活…「あのダリヤ渓谷でのトルコ人の捕虜たちの望郷の想いを掻き立てたラバシかい。僕ならトルコ兵があれだけ嫌がった黒パンのためなら大金を積んでも惜しくないというのに。」

旅行者の朝食 (文春文庫) 米原 万里 221-222 日の丸より日の丸弁当なのだ

ロシア黒パンの歴史

 ミサで使うパンが黒パンが使えなくなったのでカトリックからギリシャ正教が分裂することになりました。そのくらい黒パンの魅力があったようです。

一〇五四年にギリシャ正教会がローマ・カトリック教会と決裂したことは、東西キリスト教の分断という大事件として高校の「世界史」でも暗記させられた。「世界史」で習った記憶では、三位一体の解釈とかマリア崇拝をめぐる意見の相違などがその理由とされてきた。ところが、実際に決定的だったのは、正餐式で使うパンをめぐる対立だったらしい。( ビザンチンやロシアで常用される )酸味のあるパンを用いるか、カトリック教会で一般的だった酸味のないパンを用いるかをめぐって、一一世紀半ばには激論が東西教会間で交わされたらしい。

 教皇レオ九世が「正餐で酸味のあるパンを用いてはならない」と断を下したことによって、ビザンチンの正教会本部は、カトリックと袂を分かつしかなくなった。正教会傘下の一〇〇年ほど前にキリスト教国教化に踏み切ったばかりの新興国ロシアでは酸味のある黒パンを常食し、これを否定されることが、民族的自尊心とアイデンティティーをいたく傷つけるのは火を見るより明らかだった。レオ九世の裁定を認めたら、ロシアはキリスト教から離脱してしまう。ビザンチンはカトリックよりもロシアを、つまり黒パンを選んだ。と、これはあくまでも愚見だが。

米原万理『心臓に毛が生えている理由( わけ )』「黒パンの力」 https://plaza.rakuten.co.jp/akkothebest/diary/201203040000/


いいなと思ったら応援しよう!