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日本の第四の伝国璽 大刀契

 焼亡したのは残念です。


大刀契とは

三種の神器とは別に、「大刀契(たいとけい)」と呼ばれる百済伝来の「神宝」が、三種の神器に準ずる「伝国璽」として存在したといいます。大刀契は内裏の火災などでたびたび焼損しましたが、改鋳して平安・鎌倉期と伝授されてきました。しかし、南北朝の混乱の中で絶えます。北朝第一代とされる後光厳天皇の践祚に当たっては、「大刀契、鈴印、これを渡されず、紛失せしめしか、年来実なし」(『匡遠記』)と記述されていることから推測できます。

http://www.myoukakuji.com/html/telling/benkyonoto/index213.htm

桓武帝と百済 -日韓の「ゆかり」を訪ねて(41)エピローグ・大刀契の謎 百済伝来の「伝国璽」 践祚に際し代々継承/北斗・青竜白虎など、大陸・半島の特徴持つ

三種の神器とは別に、「大刀契(たいとけい)」と呼ばれる百済伝来の「神宝」が、三種の神器に準ずる「伝国璽」として、ある時期まで天皇の代替わりごとに伝授・継承されてきたことはあまり知られていない。

 史料に大刀契の名前が、初めて出てくるのは平安初期、右大臣藤原実資(さねすけ)の日記で宮廷の故事や儀式を詳細に記した『小右記(しょうゆうき)』の長和五年(一〇一六)条で、そこに天長十年(八三三)の淳和天皇の践祚(せんそ)に際し新帝仁明天皇に大刀契が譲られたことが記されている。

 しかし、この大刀契に注目し「大刀契考」を著した江戸時代の考証学者、伴信友(ばんのぶとも)は、大刀契の名は出ないものの大刀契とみられる神宝が初めて史料に登場するのは、桓武天皇崩御による平城天皇践祚の時にまでさかのぼることを明らかにした。すなわち『日本後紀』延暦二十五年三月条に「璽ならびに剣櫃を東宮に奉る」とあり、このうち璽とは神璽の鏡と剣であり、「剣櫃」が大刀契を収めた櫃とみられる。

 また『続日本後紀』の嘉祥三年(八五〇)三月条には、仁明天皇の崩御に際し「天子の神璽・宝剣符節・鈴印等」を皇太子(文徳天皇)に奉ったとある。ここでは「宝剣符節」とあるのが、大刀契を指すものとみられる。また清和天皇の崩御に続く陽成天皇の践祚に際しては、『三代実録』に「天子の神璽、宝剣を受く」という形で記されている。このように天皇の代替わりごとに、大刀契が三種の神器とともに新帝に継承されたことは、わが国正史である六国史にはっきりと記されているのである。

 大刀契は通常、宝鏡(八咫鏡)と同じく内裏の温明殿(うんめいでん=賢所)に辛櫃(からびつ)に入れて安置されていたようだ。このことは、『本朝世紀』『日本紀略』などに記されている。また『江家次第』には、大刀契が「伝国璽」と表現され、それが新帝のもとに移る時の様子を、内侍二人が神璽宝剣を採り「少納言二人大舎人、伝国璽櫃を持ち追従」というふうに記している。

 さて、この大刀契の由来についてだが、鎌倉時代、順徳天皇が書き記した『禁秘抄』に「是百済より渡さる所」と明記されている。また右大臣藤原宗忠の『中右記』にも「これもと、百済国献ずる所」と百済伝来であることが記されている。この他、『塵袋』『永和大嘗会記』といった史料にも、百済伝来のことが記されている。

 大刀契は、内裏の火災などでたびたび焼損したりしたが、改鋳するなどして、平安・鎌倉期と伝授されてきた。

 しかし、南北朝の混乱の中でついに絶えてしまったようだ。いわゆる北朝第一代とされる後光厳天皇の践祚に当たっては「大刀契、鈴印、これを渡されず、紛失せしめしか、年来実なし」(『匡遠記』)という状況となっていた。

 しかし大刀契がどのようなものであったかは、史料からある程度、推測することはできる。それは「大刀」と「契」から成っており、そのうち契は、「魚符」とか「魚形」と書かれているのをみると、魚の形をした付属品と考えられる。魚形の飾りと剣がセットとなった例では、奈良県斑鳩町の藤ノ木古墳から、玉纒大刀(たままきのたち)とともに、魚佩(ぎょはい)が出土している。また、伊勢神宮の神宝の玉纒御大刀にもフナ型と呼ばれる二つの金銅製の魚の形をした飾りが付属している。

 大刀の方は、櫃の中に納められていた十柄ほどあった節刀の中の二本の「霊剣」を指すものとみられる。嘉保元年(一〇九四)十月、堀河院の炎上で、大刀契が焼損したときの記録が『中右記』にあり、切鋒の剣様で長さは二尺二寸、峯(みね)に銘文があり、「北斗」や「青竜」「白虎」などの文字ないし、形が認められたと記している。

 ただ、この大刀契は、天徳四年(九六〇)の内裏の火災で焼損したあと新造されたもで、本来の姿をどれほど残しているかという問題は残る。普通、百済伝来のものであれば、韓半島の刀の様式、柄の端が環になった環頭大刀が浮かぶ。

 韓国国立公州博物館の鄭相基・学芸研究士にこのことをたずねると、「百済伝来の刀ならこのような様式のものと考えられます」と言って武寧王陵で発見された環頭大刀の写真を見せた。

 残念ながら、『中右記』などの史料で、環刀大刀か否かを確かめることできない。しかし刀身に描かれた「北斗」「青竜」「白虎」などの四神図には、明らかに大陸・半島的、百済的な特徴が表れている。

https://web.archive.org/web/20030116170943/http://www.worldtimes.co.jp/special/yukari/yu021224.htm


レガリア「大刀契」について
https://kansai-u.repo.nii.ac.jp/record/21423/files/KU-0200-20210930-02.pdf

大刀契は焼亡した

神鏡や大刀契(だいとけい)などの皇位に関わる重宝は燃えてしまった。

https://mokuou.blogspot.com/2012/07/4960923.html

大刀契についての文献

晝御座御劍 大刀契附
https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/index.php?%E5%B8%9D%E7%8E%8B%E9%83%A8%2F%E7%A5%9E%E5%99%A8%E4%B8%8A%E3%80%88%E6%99%9D%E5%BE%A1%E5%BA%A7%E5%BE%A1%E5%8A%8D%E3%80%80%E5%A4%A7%E5%88%80%E5%A5%91%E9%99%84%E3%80%89

南北朝神器授受始末
https://ys.nichibun.ac.jp/kojiruien/index.php?%E5%B8%9D%E7%8E%8B%E9%83%A8%2F%E7%A5%9E%E5%99%A8%E4%B8%8B%E3%80%88%E6%99%9D%E5%BE%A1%E5%BA%A7%E5%BE%A1%E5%8A%8D%E3%80%80%E5%A4%A7%E5%88%80%E5%A5%91%E9%99%84%E3%80%89

太刀と契の姿をうかがう類する太刀と「魚符」「魚形」

伊勢神宮の太刀

伊勢神宮神宝「須賀利御太刀」

伊勢神宮の玉纒御太刀

玉纒太刀考

石清水八幡の神宝太刀


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