本が絶版になるということ
先日の読書日記でかこさとしの「こどものとうひょう おとなのせんきょ」を紹介した。この本は絶版になっていたものがあまりにも評判がよく、復刻版となってよみがえった本だという。
なんとなく、本というものはほぼ半永久的に残るものだと思いがちである。
今でも書店にいけば夏目漱石の本が買える。漱石は鬼籍に入ってからすでに100年以上たつにも関わらず。なので、書物はいつでも手に入れることができるように感じてしまうが、本には絶版というものがあり、絶版になると印刷製本がなくなり販売流通ルートにのらなくなるため、在庫がなくなると、古書店やメルカリなど中古市場以外で入手できなくなる。
絶版というと今でも思い出すのは、角川文庫の安房直子作『きつねの窓』だ。こどもの頃、転校するときに友人がこの本を贈ってくれたのだ。
幼い時から読書好きで図書館に通い本ばかり読んでいた。当時は推理小説や冒険小説、宝島や十五少年漂流記など海外のスケールの大きな小説などを好んで読んでいたように思う。
そんな私に友人は安房直子さんの『きつねの窓』を贈ってくれた。
安房直子というはじめて聞いた名前の作家の本は、それまで私が読んできた本とはまったく異なり、透明感があり切なくはかない雰囲気を醸し出し、繊細でちょっとでも触れたら壊れてしまいそうな世界を描いていた。そして作品の中からいわさきちひろの絵のように淡い色がいくつも目の前に浮かんでくるのだった。角川文庫の『きつねの窓』は短編集で、一番のお気に入りは『魔法をかけられた舌』。『さんしょっ子』も好きだった。
はじめて知る繊細な児童文学の世界に魅せられて、何度も読み返したお気に入りの本となった。友達に話したら読みたいというので貸してあげたのだが、その人がその本をなくしてしまったのだ。
「ごめん」とたいしたことではないかのように謝る彼女の姿に怒りを覚えた。お気に入りだからこそ貸した本を粗末に扱われて悲しかった。
同じ本を探したが、その頃には絶版になっていた。
あちこちの書店に電話をし、中古書店を何軒もまわったが、見つからずにあきらめたのだった。
安房直子さんの本は何冊もでている。角川文庫に収録されていた作品は他の本で集めることはできるし、実際他社の文庫本を何冊も持っている。
ただ、複数の作品を集めて一冊の短編集として出来上がった本は、作品の順番や挿絵、表紙、装丁など著者や本の出版に関わる人々が考えて出来上がった短編集という一つの作品であり、順番が違ったり入っている作品が一つでも異なると、それは別のものになってしまう。
本の絶版というと、いつもこの角川文庫の『きつねの窓』のことを思い出す。