生き物としての本能
誰もが「生きること」を中心に毎日生活をしている。
そんな中で気づくこと。
男性という種別で生きている人間は、自分の「生きること」を脅かされそうになると威嚇して自分の位置を脅かされないように本能的に行う場合が多い。マウントを取りたがる。自分がいかに他の人より特別で優れているかを表現する。そしてその行動は無意識で特に悪意なく行われている。なので、その矛先を向けられた人やその行動を傍から見せられた時の不快感を自ら感じることはない。
女性という種別で生きている人間は、自分の利益になる人間だけで自らの城壁を作り、他からの侵略、特に同性からの侵略を妨げようとする場合が多い。こちらも無意識で行われる行為なので、領域外の同性が受けているあからさまな拒絶・無視に対する違和感や疎外感を自らが察知することはない。
全て自己承認欲求の表現だとは思うけど、私はこの本能的な表現方法が嫌いだ。なので、自分自身は自己を認めてもらい、生存し続けるためにどのように他と交流をするべきか迷う。そして自分の中にある「本能」をどのようにコントロールして自身も相手も気持ち良い関係・距離を保つべきか悩むことがある。
ある意味、「本能」ままに行動して他の人を傷つけても気づかず一生を終える人間はうらやましい。ぶつけられた「他人の本能、自己承認欲求」に過剰なストレスを感じる。そんな自分に疲れて、時にはこの現世から外れた所に行ければ、どんな楽しいことが待っているのだろうかと想像してみたりする。
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