美丈夫

もう九月になってしまった。
八月のはじめ、捻挫だと思っていた痛みはレントゲンを撮るごとに明確に骨の傷だとわかり、結局のところ剥離骨折だと診断された。治りかけで自己判断で無理をしたのもよくなかったらしく、安静にすべき時期が延びてしまったのだ。

今までスポーツに全振りしてた時間がぽっかり空く。友達には「フリーになったしリアルでもしたら?」と言われるが、片足に包帯ぐるぐるでギプスつけた状態で「ハジメマシテ」というのも気が引けるし、基本的にあまり出歩かずに家でじっとするようにしている。

老人が骨折して歩けなくなると一気に老け込むという話を聞いたことがあるが、体の自由が利かなくなると気力がどんどん減っていくということが今回とてもよくわかった気がする。

言い訳がましいが、八月のうちに書き進めたかったものもたくさんあったのに、全然やる気が起きなかった。ひたすらゲームとYouTubeをだらだら…という全く非生産な日々を過ごしてしまった。やはり自由が利かないこと、今まで通りに動けないことはストレスなのだなと思う。

そういうことを考えていると、宮沢賢治が死の数日前に書いたという、いわゆる「最後の手紙」として知られる一文を思い出す。

風のなかを自由にあるけるとか、はっきりした声で何時間でも話ができるとか、自分の兄弟のために何円かを手伝へるとかいふやうなことはできないものから見れば神の業にも均しいものです。

宮沢賢治「最後の手紙」より

俺のケガごときと比べるにはあまりにおこがましいけれど、満足に体が動かせる、不自由なく話せるというのは幸せなのだなと思う。

と、そんなわけで運動もできず無気力に生活していたのだけど、なんだかようやく気持ちを持ち直せてきた気がしている。少し秋になったからだろうか。先週から長く居座っていた台風が過ぎて、今日はすっきりと晴れた。確かに暑いのだけど、風も日差しも秋のものになっていた。

毎年毎年、日本の気候も四季を楽しんでられないくらいめちゃくちゃになってきてると思うけど、台風が過ぎると秋が近づく。これは変わらない。台風が夏の空気を吹き飛ばしていくみたいな、季節の変わり方。

それに伴ってちびちびと酒を楽しむ。今日は土佐の「美丈夫」を頂く。前にふるさと納税で飲んでからハマってしまった酒で、美味いんだよなぁこれ。舌に触れる米の旨味も鼻に抜ける香りも。夏が終わりそうなので、大葉をたっぷり刻んだ卵焼きとトロトロにした茄子の焼きびたし。そしてカツオのたたき。うん。美味い。秋も秋で楽しもう。もうすこしがんばれば、俺も美丈夫になれるかな。

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