なぜ日本人が、黒塗りメイクをして黒人奴隷を演じてはいけないのか
先日、「オペラ東京」という知人が出演しているオペラの舞台を鑑賞した。モーツァルト作曲の「魔笛」だ。初演は1791年、オーストリアの劇場らしい。
僕自身はオペラに詳しくなく、音楽的なことはさしてわからないのだが、演者の歌は素晴らしかった(特に、ザラストロとパミーナ)。
が、しかしである。演出上のある表現がノイズとなり、感動が半減してしまったように思う。その表現とは、本稿タイトルの通り、モノタストスという黒人奴隷役の演者が、顔や腕などの皮膚を黒塗りメイクをして演じていたことだ。
演出側としては、「当時の脚本がそうなっているから問題ない」という認識なのであろうか。しかし、そのような認識は誤っている。
例えば、当時の脚本で、アジア人を侮辱するシーンがあり、当時の演出では、「劣ったアジア人」を表現するためにテープを使用して、目を細くするメイクをしていたとする。
この演出を現在、欧米の舞台で見たら、僕は間違いなく悲しい気持ちになる。その創作物が発表された時代と社会だけでなく、今の時代、社会においても、アジア人は劣った存在だとみなされている、と僕は感じるだろう。また、少なくとも、当事者であるアジア人にそのように受け取らても構わないという意識を汲み取るだろう。
舞台での表現の根底には、必ずしも当該演出家や演者の価値観だけが反映されているものではない。「そのような表現をしても許されるだろう」と表現者側が考えたという事実には、まさに今現在の、この社会でその様なことをしても許されるという空気感が、この社会に存在することを意味している。
その意味で、舞台表現には、現在のこの社会の価値観・倫理観が反映されているものといえ、その表現によって身体的特徴等を揶揄された属性に所属するものは、社会からの疎外感を感じることになるだろう。
今回、オペラを鑑賞してこの様なことを考えた。
1人のアート好きとして、表現物の表現への違和感を覚えた場合は、しっかり発信をしていこうと思った。