光明院 波心庭の美しさについて
ハリボテ状の細かい棒で形作られたほぼ球体のパズルをイメージしてみる。この細かい棒のどれか一つを取ってしまえば、球体はバランスを保つことができなくなり、ボロボロと崩れ、形あるものは全て消えていく。
仏教の「縁起」や「空」の思想に対して、僕はこのようなイメージを抱いている。
僕が光明院を訪れたのは、社会人3年目が終わりに差し掛かっていた2021年の秋。社会の中で生きていくという現実に足掻き苦しみ、気づけば仏教・禅の思想に触れたいと思う機会が多くなっていた時期だった。
午前6時40分。京都駅周辺のホテルからタクシーに乗り込み、運転手に行き先を告げる。あいにく「光明院」とだけ伝えても、そのタクシー運転手には、目的地が伝わらず、ネットで正式名称を調べ「東福寺光明院波心庭」と伝え直す。
タクシーは、ホテルのエントランスを出発し、東の方角へと走り出す。塩小路通りから鴨川を渡り、京都の街を南下していくと、十条通りとの交差点に差し掛かる。その交差点を左折すると道幅は徐々に狭くなっていき、生活臭の漂う街並みが現れる。その街並みの中で何度か左折と右折を繰り返し、細い坂道を登っていくと、目的地の光明院に到着した。
光明院の表門は比較的控えめな佇まいで、観光客がふらっと立ち寄ることに一瞬躊躇を覚えるが、構わず階段を登ってみる。表札には、厳かな表門の佇まいからは想像できないポップな字体で「昭和名園光明禅院波心庭」と刻まれており、ここが単に昔ながらの形式を踏襲している禅寺ではないことを予感させる。
門をくぐり、土間から寺の内部に入ると、均整が取れているのか、いないのか分からない岩の世界が現れる。
それぞれの岩の大きさはまちまちで、ぱっと見、その配置に厳密な規則性は見出せない。しかし、それでいてどこか秩序立っていて、そのどれか一つが存在していなければ、庭の調和は崩れ去ってしまいそうな予感を抱かせる。
この不思議な感覚はどこから来るのか、再度、波心庭を眺めて確認する。今度は時間をかけて。
それぞれの岩は、庭のさまざまな角度から見るとその角度ごとに、ほぼ直線の対角線を引くことができることに気づく。また、岩の高低のバランスも、岩の上部が程よく対角線を作るように配置されており、一つの視界から複数の対角線が引けることとなる。
もっとも、完全な直線はそこにはない。完全な直線を作るのであれば、そこに中くらいの岩を配置すべきところに、平然と小さい岩が配置されていたりするのだ。
このようにして、無秩序が秩序立った空間が作出されている。その空間には、それぞれの物体が各々に影響を及ぼし合い、その限りで存在を維持している「有」でも「無」でもない禅の世界が表現されている。
光明院波心庭は、1939年に重森三玲という人物により作庭されたものである。京都旅行の後、この人物について調べてみると、数々の庭園を作り出していることを知った。今後、重森三玲の作品を味わうことを人生の楽しみの一つに加えたいと思った。