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ゲルハルト・リヒター

「信仰」などの人智を超えた概念を視覚化すると、眼前の世界になるのだろうか。
昨年の夏、リヒターの作品を前にして僕はこのようなことを思った。

 リヒターの抽象画を言葉で説明することはできない。意味の範疇を超えた存在だから。説明できるとすれば、それら作品がいかに人間の認識や意味づけを超えているかということだけだ。

 リヒターは、抽象画制作において、絵の具をキャンパスになすりつけるときや、ヘラで塗った絵の具を削り取るときに、一定の法則のもとにそれを行う。
 しかし、製作段階の途中でその法則性は放棄され、また別の法則性のもとに、絵画が製作されては中断されていく。その結果、作品は作り手の理解の範疇を超えていく。
 制作過程において、その絵画から、意味や概念が削ぎ落とされていくが、削ぎ落とされた法則性とは裏腹に、絵画は深みを増していく。
 なまじ、法則性の断片が目の前に提示されることから、鑑賞者はそこに法則性を見出そうとするが、みつけた法則性は途中で破壊・上書きをされており、その世界の法則をつかむことなどできない。
 そこには、人間がどれだけ認識しようと努力しても、決して認識することのできない、深淵な世界が広がっている。

 リヒターの抽象画は、日々、人間が認識している世界のその奥を見せてくれているのだ。

掲載している写真は、国立新美術館のテート美術館展で展示されていたもの(写真撮影可)を筆者が撮影したもの。


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