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たいせつにする


優しくするともちがう
大切にする対象に対して敬意をはらうこと
…と考えるようになりました。

ひとなら、その人が生きていることそのものへ
ものなら、生活を支えてくれていることへ

もちろん人も物も完璧じゃない
良いところもあれば、欠点もある けど
それら全部をいったんなしにして。
今あるその存在だけを見る。

今ここにあるというただそれだけをみて
100パーセント肯定すること。

そうすると、ありがとう
という気持ちが湧いてくる、これが
大切にするということ なのかなと。



ただ…
他者に対してそうなる為には、
まず自分自身にそうできないといけなくて。

でもどちらかというと
自分に対してする方がむずかしい…ですよね。


ずっと自分がきらいで、
否定と、渇望の繰り返しを経て、
鬱病と向き合う事になった20代がありました。

その時1番蔑ろにしてしまっていたのが自分で

本当にしたいこと
考えたいこと、
心地よさ…は、とりあえず置いておいて。

家族の、友達の、期待や、
自分の在りたい憧れの理想をつくり、
そっちに併せてしまう
そうじゃないと認めてもらえないし
価値がないと思われてしまうのが怖いから。
何よりも自分が自分の事を
好きになれないと思っていたから。

鬱になって、
今まで当たり前に出来ていた事さえ
できなくなって

完全に落ち込み切ってから
本当に 徐々にですが

出来なくてもいいか とか
無理に合わせない だったり
できないものはしかたない という

まぁいいかとおもえる
いい意味での諦めを覚え。

逆に自分を無理させないことや
できない自分も悪くない と
思えるようになっていきました。
自分を許す作業です。

自分を許せる様になると
他者に対しても温かな気持ちで
向き合う事が出来る様になるため
我慢をしなくてもよくなるので、
ストレスもほとんど感じなくなりました。

…人間なので、瞬間的なものはあります。
イラッ…みたいなのはありますが
すぐに飛んで行きます


そこから、
何かをする時は 相手のためよりも
自分がしたいという気持ちで動くように。

結果、自分の行動に対して
相手からの反応が無かったとしても
ストレスはなく
逆に反応があった場合は
あたたかな気持ちになれます

小さな積み重ねですが、
少しずつ自分という存在を 
認める事が出来る様になって

昨年夏ごろには
私という外見や内面のアイデンティティ全てを
失った自分も、胸を張って好きだと思える
実感がありました。

これからもたくさん、
たいせつにして
いきたいです。


…因みに、鬱の時に出来なくなって
1番ダメージが大きかったのは
洋服が選べなくなったこと。
それまで古着が好きで
組み合わせて着てたんですが
…びっくりすくほど何を着ても
よくわからくなって 
2.3時間鏡の前に居た時は
とても悲しかったです

対策として、やったのが、
無地で、着心地の良い
ワンピースを着る様にしたこと。
合わせなくていいので、
調子が悪くてもなんとかなりました。

今も、大体どれを組み合わせても
合いそうな服を好んでいます。

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