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学生時代の“好き”は仕事にできる?
仕事を始めて、高校や大学時代に好きだったものを活かせることが増えました。
大きく2つ、対教師と対生徒です。
対教師では、僕の趣味であるバイクや登山、様々なジャンルへの興味関心から得た基本的な素養など、話題に尽きることがあまりないように感じます。
これは学生時代に多様な価値観に触れ、“新しいことを知るのは楽しい”という経験からきているものだと考えます。
対生徒では、サブカルやいわゆる学校あるあるなどの小話などで会話ができることです。また、教養系の本や動画を見る習慣があり、生徒のお題に対して何かしら返答できることに気付きました。これまでのなんとなくの大量のインプットがここにきて役立つとは思いませんでした。
このような経験をしてしまうと、“もっと好きが重なるところで働きたい”と思うようになりました。
言い換えると、似た価値観を持った人らが集まった環境ともいえます。
僕は、価値観や人格を否定するつもりはありません。
しかし、それらはその人が育ってきた環境により形成されるものであり、ここでの環境因子の一つに“学力”があると考えます。
学校という集団は、まず学力で組織分けされます。進学校、実業系、そしてその中でも特別クラス、普通科、専門科に分かれます。
私は現在、実業系の高校ですが、仕事をしていく中でどうしても価値観のズレを大きく感じることがあります。これは、対教師、生徒ともにです。
理由の一つに、僕が普通科出身であり、実業系の実態や伝統、そして集まる生徒のバックグラウンドをよく理解していないということがあります。
一般的に、普通科よりも学力でいえば低い(とはいっても、できる生徒はかなりできる)とされていますが、正直ここまで考え方などが異なるとは思いませんでした。
そこでです。
“好き”を仕事にできるかも、と気づいた僕はその環境を自分から選びに行くことも必要だと考えるようになりました。
もちろん、全て価値観が同じ集団なんてありません。ただ、あまりにも乖離した集団に居続けることは僕にとっていいことなのか?疑問に思うようになりました。
改めて、自己分析と学校分析をやっていこうと思います。