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伊達政宗のふるさと「仙台」

杜の都「仙台」。
七夕まつり、牛タン、お寿司など名物を挙げればきりがありません。
その中でも忘れてはいけないのが、宮城を代表する「伊達政宗」です。

10年早く生まれていたら、伊達政宗も天下人?

「青葉城公園」にある仙台城跡

織田信長、豊臣秀吉、徳川家康……
もし伊達政宗があと10年、20年生まれてくるのが早かったら、天下人に加わわり、歴史は大きくかわっていたかもしれません。
しかし残念なことに遅れてきたヒーローは、将軍のトップになることをあきらめました。
そしてかわりに仙台の街を整備し、運河を作り、米の取れ高を増やし、庶民の暮らしを豊かにしたのです。
だから今でも市民に愛されている伊達政宗。
ゆかりのものや、名所も多く残っています。

「青葉城公園」の中に城跡がある

大迫力の本丸北壁の石垣

伊達政宗が居城にした「仙台城」、別名「青葉城」は、残念なことにもうありませんが、城址は「青葉城公園」の中にあります。
一六一〇(慶長一五)年に築城した仙台城は、標高約一三〇メートル、東と南が広瀬川と竜の口渓谷の断崖。西は険しい山に囲まれた天然の要害。
平成9年から16年にかけて修復された本丸北壁の石垣も残っています。

伊達政宗像は仙台の街を今も見守っています

お馴染み「伊達政宗像」

そして大河ドラマの最後の「ゆかりの地めぐる」コーナーにもよく登場する、馬に乗った伊達政宗の像。
これも青葉城公園の中にあります。
馬の上から政宗は、独眼竜で仙台市内の街を今でもしっかり見守っています。

徳川家康に気を使って天守閣をつくらなかった

そんな城ですが、実は天守閣がないのです。
なぜ作らなかったのか?
それは江戸に住む徳川家康に「敵意がない」ことを示すためだと言われています。

また天皇家、将軍家がいつやってきてもいいように「御成門」や、「上々段の間」も造りました。
しかし東北の地は遠かった。
結局、この門や部屋が使われることは一度もなかったそうです。

城址から見える広瀬川は今も昔も変わらない景色

令和3年の仙台の街

政宗公が統治した時代から流れ、令和の現代。
高層ビルが立ち並ぶ市内は、伊達政宗が見たのとは全く違うものでしょう。
しかしただ唯一かわらないのが広瀬川。
今も昔も仙台のシンボルとして、街の中を悠々と流れています。






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