口コミと他人と窮屈さと私
私はフラワーアレンジや白磁の絵付けで作品を作って販売しているので、お客様の感想は嬉しいし、必要だから積極的に集めるべきではあるのだけど・・・・
自分が利用者側の場合に以前は口コミをたくさん読んで一番いいのを選びたいと思っていたけれど、今は口コミを読むと誰の世界で生きているのか分からないようなつまらない気分になってしまいます。
旅行先で立ち寄る場所についても、ネット通販で靴や服を買うにしても、外食する場所を探すにしても、本を買うにしても、そして私が作るようなアレンジもだけど、他人の体験で先に疑似体験できてしまうのってどうなんだろう?と思えてきてしまうのです。
例えばあるお店で「店主がぶっきらぼうで・・・」って書かれていた場合。
それはこれを書いた人の主観にすぎないし、店主のその時その状況での一面に過ぎない。
でも私は「お店の人が怖いんだって~。やめとこか。」と思ってしまう。
本を買うにしても「どこかで読んだことのある情報の寄せ集めだ」とレビューがあった場合。
それはこのレビューを書いた人がすでにそのジャンルについての知識が豊富なだけかもしれない。
でも私は「この作者本当に書いてるかどうか怪しいな。やめとこか。」と思ってしまう。
今振り返ってみると、こうやって失ってきたチャンスがもったいなかったなぁと思うのです。
逆にいい情報であっても口コミで得た情報を基準に実物を評価してしまうから、「書いてあったほどキレイじゃないな」とか「写真の撮り方が上手なだけか~」とか・・・何だか間違い探しをしているだけな気分なのです。
それがどんどん窮屈になってきて、「お客様の声」って何だろう?って思ってしまうのです。
もちろん商品やサービスを探していて口コミを参考にする場合もあれば、口コミを先に読んで商品に興味を持つこともあるから有益でもあるのだけれど、やっぱり他人の経験をベースにすることは私にとっては窮屈なのです。
情報が溢れている状況は上手に使える人にはいいことかもしれないけれど、私は振り回されてしまいがちだから意識的にシャットダウンしなきゃ、そんな結論です。