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【日本以上】世界一の反中感情が強いと言われるベトナム、その背景と独立に於ける日本との関係性
『ベトナムって共産主義だから中国に近いんやろ?』
と勘違いしている日本人が結構多く居ますが
ベトナムの赤はソ連の赤であって、日本以上とも言われるほど世界でも屈指の反中感情を持ち、華僑の影響を退けた国だったりします。
ベトナムは何故、日本以上の反中感情を持つ国なのか
またベトナム独立に至る経緯と日本との接点について概要を今回はお話したいと思います。
何故、それ程までに反中感情が強いのか?という疑問は
概ね紀元前100年頃まで遡ります。
ベトナムは紀元前100年頃から中国王朝により征服され
その後も事実上の支配下に下る様な状況が1000年近く続き
その後、支配下を離れて以降も幾度も大軍勢による遠征侵略を受けました。が、その都度ベトナムは【徹底抗戦】という選択を貫き、中国王朝の影響を強く受ける事もありましたが、独立を保ってきたという長きに渡る歴史を有しています。
時は過ぎ近代
欧米列強諸国が次々と東南アジアの植民地化を進め
フランスが仏清戦争で勝利を収めると、そのままベトナムも事実上の植民地支配する事となりました。
その頃から、既にホーチミン等を筆頭に様々な革命家がベトナムの独立の為に動き始める事となります。
程なく東南アジアの植民地解放を謳う大日本帝国が進軍してきましたが
ドイツの侵攻によりフランス本国は降伏、その後ドイツに従順な傀儡政権のヴィシー政権に移行し
ドイツの同盟国である日本に対しても、植民地フランス軍は友好的であり
ベトナムを治めるフランス軍は日本に従うという形で事実上ベトナムは、日本軍とフランス軍の両軍が共同で治める形となりました。
ベトナム側の視点からすれば、日本が掲げた大東亜共栄圏の大義の元、フランスを追い出してくれる事を期待して居ましたが
やってきた日本はベトナムとではなく、寧ろそのフランス軍側と仲良くなってしまい、ベトナムが望む独立の機会は訪れませんでした。
日本側の視点としても、ビルマ方面、マレー方面、そして大英インドと、そっちではまだバチクソ連合軍とやり合ってる状態な為
急速なベトナム独立を行う事で統治していた植民地フランス軍が協力的ある状態を態々刺激して崩したくないという本音が有った様です。
いつかは状況を整えた後、完全にフランスを撤退させて日本のおぜん立ての元に独立を、というプランはあったのかもしれません(寧ろ実際政権の動きを見ると進めては居た様です)が
強行に即時実行に移せなかった事は率直に余裕が無かったのでしょう。
そしてその後、アメリカの参戦によりヨーロッパの戦況は逆転し、ドイツ軍が破れフランスが奪還された結果
傀儡ヴィシー政権は崩壊、再び植民地先のフランス軍も日本に対して敵対的に戻りましたが、日本軍により叩き潰されました。
これを叩き潰したのが、以前動画でご紹介した
タイ・ナコンナヨック県に慰霊碑がある第三十七師団です。
しかし、時すでに遅し
インパール作戦も失敗し、その後もまもなく大日本帝国は降伏する事となります。
この日本が降伏し、その直前に日本軍がフランスを蹴散らした直後である空白の絶好のタイミングを見計らって
ホーチミンはベトナム独立を宣言します。
しかし、その独立をフランスは【そんな事させねーよ!】と認めず、軍を派遣しベトナムの南の都市を占拠
その結果勃発した戦争が、第一次インドシナ戦争です。
第二次世界大戦後、勢いを増していた共産勢力は
東南アジアから欧米列強諸国を完全に叩きだし、自分達側の陣営に引き込む為、中国、ソビエト連邦らはベトナムを全力で支援しました。
尚、この際ベトナムに残留し、真にベトナムの独立に貢献する為に
日本兵600名がベトナムに対して兵器の提供・軍事教練・作戦指導を行いそして直接自身らも戦闘に参加。
その結果、半数に当たる300名が死亡しました。
良く、都合よくベトナムの独立は日本のおかげ!などと
他人のふんどしで相撲を取っている人が居ますが
ベトナムに関しては、大日本帝国が独立に貢献する政策、行いをした訳ではなく
個人として、祖国へ帰る事を諦め、ベトナムの真の独立の為に残った600名の日本人が独立に貢献した物です。
誠に残念な事ではありますが、当時の大日本帝国は傀儡フランス植民地軍と仲良くしただけでなく、ビルマ戦線維持の為に飢饉の際、食料徴発を継続しベトナムにて餓死者を出してしまう事態も引き起こしています。
(尚、この件にしては大規模な飢饉による餓死者の責任を全て日本のせいにしたというプロバカンダであり
日本軍が徴発したとされる食糧の量が冷静に計算すれば518年分の量だ、等とあり得ない数値が挙げられていたり
日本がベトナムの行政権を完全にフランス植民地軍から奪取できたのは1945年3月から敗戦までの僅か5か月間のあいだだけであり
この結果数百万人の命がっ!等という数の飢餓による犠牲を作り出す等と言う事は荒唐無稽な話です。
この件は実際にハノイ人民委員会幹部は後に【これは政治宣伝であった】という事は認めています。
その為これは戦後世界中で行われて居る、勝者は正義であり、敗者は悪でならなくてはならない宣伝
他にも代表的な話として南京大虐殺の話が有名ですが
日本軍が南京占領後、6週間の間に南京市民30万人を虐殺した、という主張ですが
当時日本軍が南京を占領した際の人口は20〜25万人程度であり、日本軍が統治した8カ月後、南京の人口は38万人になっていたという、明らかに矛盾、虚偽があるという話は有名ですが
ベトナムの餓死者の話についてはそれに非常に近い要素が含まれていますが、この話を信じているベトナムの方も大勢います。
また同時に、実際大勢の方が飢餓で亡くなっている状況下で、主原因では無かったとしても日本が食糧徴発を実施した事は事実です。
仮にプロバカンダの部分の誤解を解いたとしても
主原因で無かったとしても、自国民が飢えで次々と死んでいる中で、他国の軍隊が食糧を徴発してそれを助長させた。
これが自分達の立場だったら感情的に許せるか?と考えて頂きたい)
なので現代の我々日本人が、無神経に、少なくともベトナムの人に対しては【日本のおかげで独立できた】等と高圧的に宣う様な事はしない方がいいでしょう。
ベトナムの人達からすれば、そのプロバカンダを抜きにしても
確かに独立に至るまでの流れの中に日本という国は関わっていただろう
実際600名もの日本人の義人達が独立の為に命をささげてくれた事も事実だろう
しかし、日本と言う国が私たちの国の独立の為に行動した訳じゃないじゃないか
と、なる訳です。
勝利した暁にはそうしたかった、あの時は戦線維持で精一杯だった
それは彼等には言訳になりません。
尚、話を戻しますが、第一次インドシナ戦争の結果は
我々日本人に馴染みが深い、お隣の朝鮮戦争の結末と同じく自主独立を掲げた北ベトナムと、フランスの影響下の南ベトナムに分かれて終了しました。
その後フランスは弱体化し、南ベトナムの支配権をアメリカにバトンタッチした結果
第2ラウンド、第二次インドシナ戦争が始まりました。
皆さんが良く知る方の名称で言えば【ベトナム戦争】ですが
結果は多くの人が知る通り、アメリカが撤退し、共産側
自主独立を掲げた北ベトナムが勝利し、ベトナムは統一されました。
日本人の世界の流れの感覚では、日本が第二次世界大戦で敗退後、そこで多くの日本人の主観として戦争は終わっている為
昔はすごい戦争があったけど、今は平和だよね、という様な感覚を持っている日本人が非常に多いですが
この様に日本が敗北し、欧米列強諸国の植民地は次々と崩壊、当時世界最大勢力だった大英帝国の栄華は完全に潰え、衰退を遂げ
ソビエト連邦・中国をはじめとする共産主義勢力が台頭し、勢力を拡大し世界の半分を赤に染め上げた。
正に隣の韓国・北朝鮮も現在未だ停戦中であるだけで戦争自体は集結していないのを見ても解る通り
第二次大戦後今に至るまで世界では何も終わってはおらず、目まぐるしく勢力が動き続けているのです。
尚、ベトナム戦争終結後、莫大な支援、援助を行っていた共産勢力の二大巨頭、中国とソビエト連邦の関係は急速に悪化しました。
結果、戦後復興、経済支援の協力を両陣営が積極的に手を差し伸べてきましたが、ベトナムの立場としては経済面では同様の条件を提示して来ていたとしても
安全保障の面を考えれば、過去十数世紀に渡り侵略を繰り返してきて、かつすぐ隣に位置する侵略国家・中国と
その中国と敵対しており、地理的にも中国を挟むように位置している超大国ソビエト連邦とでは感情面、政策面でもどちらを選ぶかは明白でしょう。
実際ベトナム戦争が終わって程なく中越戦争(第三次インドシナ戦争)を仕掛けて来るなど、彼等が隙あらば侵略してくることは証明されている訳ですが。
結果、ベトナムはソビエト連邦をパートナーとして選び、戦争中莫大な支援によって中国に依存しつつあった内政から中国を徹底的に排除
この時に行われた政策により、ベトナムは華僑経済を壊滅させ
多くの華僑はベトナムを離れ、現在世界でも華僑の影響が少ない国として日本・インド・韓国、そしてベトナムが挙げられる様な状態となりました。
(その分徹底的にソビエト連邦寄りの国にもなりましたが)
しかしソビエト連邦が崩壊し、パートナーを失ってしまったベトナムは、欧米諸国との国交正常化を図りつつも
現在では経済政策として中国と一定の歩調を合わせています。
ですが国民感情としては、その様な中国からの侵略の歴史は徹底的に学校で教えている事もあり、依然として中国への反感は非常に強く
現在の南シナ海の領有権問題を始め、中華系の工場が度々襲われたりと、十数世紀に及ぶ確執は根深く、非常に強く残っています。
以上が簡単ですが反中感情を持つベトナムの背景と、近代日本との関わりの概要でした。
ここまで読んで頂けた皆様、誠にありがとうございました。