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昼下がりの故障は、僕を修復させた。

しかしながら、僕の携帯がどうやらおかしいと気付いたのは画面をタッチしても反応しづらくなったからだった。僕が携帯に嫌われたのか、僕の存在が薄くなったのか。どちらにしても「のほほん」と生きようとしている僕に「のほほん」とはさせないこの事情は、到底好ましい状況ではなかった。

「『のほほん』としてんじゃねぇ」と、遠い日の部活で顧問の先生からおもいっきり怒られている友人を横目で見ながら、怒るには可愛い言葉だなと「のほほん」の意味を調べた。

気楽に無頓着でいる様だと書いてあった。

気に入った。

僕は、最寄り駅の近くにある少し大きな携帯ショップに入った。今や、片手で世界と交信している僕にとって、いちいち声に出して「携帯が調子悪い」と皆に発表することを考えると途端に社会に参加したくなくなる。僕にとっても携帯が壊れるというのは、最早のほほん世界の危機だと思っていた。

お昼も終えて、店内が空く時間に入店したのだが、来店客は意外に多く、その大半がお年寄りだった。今は手続きのほとんどがWeb上で行われ、操作が出来る人は来店せずに済ませるため、故障や新しい機種を手に取りたい時だけお店へ立ち寄る形になってきていて、対面形式は少なくなっているからだろう。

しかしながら、お店も次なる手段とばかりに、携帯操作教室などを開催して集客している。明らかにカウンターの向こう側には、対応出来るだけの店員さんの姿が見えるのだが、僕は予約無しの受付だったので、椅子が並ぶ待合場所で待機することを余儀なくされた。僕は待つのが比較的好きだからよかった。イライラするより、待つ時間を楽しむ魔法「のほほん読書」が気持ちいいと知っていたからだ。

「ひとまず、これを押せばいいんかね」

僕の席の横で買ったばかりなのだろうか、携帯操作教室にも参加していないおじいさんがいた。茶色のセーターから白色のカッターシャツを出し、身だしなみをきっちりしているおじいさんが座りながら携帯操作の説明を受けていた。身だしなみをきっちりしているだけで、じいさんに「お」をつけ、おじいさんと心で呼んでしまっている僕に気付いた。最低限僕も、のほほんとしながらも身だしなみと魅惑の香りは常にこの先も備えておこうと考えていた。

「お待ちください。お客様。そこはまだ押してはいけません」

説明を担当しているお店の若い女性店員がおじいさんの前にしゃがみながら横に寄り添う形で、上目遣いで丁寧に対応していた。僕は若い女性店員に教えてもらえるのなら、今日新機種にしても良いとまで考えたが、現在おじいさんが独占権を所有しているので、僕の夢が叶うことはないなと冷静になり、様子を伺うことで満足することにした。

「ひとまず、押さないならどうやって電話すれば良いのか教えておくれ」

人の口から、連続して「ひとまず」なんて聞いたことがなかった僕は、「ひとまずおじいさん」と本を読むのを止めて呼びたい衝動を抑えながら、観察することにした。どうやら電話のかけ方を教えてもらっているらしい。

「お待ちください。電話の操作をする前に、一度最初の画面に戻りましょう。ここを押せば最初の画面に戻ります」

「ひとまず、最初に戻る。戻らなくても電話できる方法はないのかい」

「お待ちください。その方法もありますけど、一回戻りましょうか」

しかしながら、僕はこの数回のやりとりを聞いただけで、人に教えるのは大変だと感じていた。文明の利器に振り回されるのは、なにも世代間ギャップで済む話ではない。目の前の一つ一つに納得しないと先へ進めないおじいさんの気持ちもよくわかる。それに対して何度も優しく同じ説明をする若い女性店員の気持ちもよくわかる。

携帯とはこれまた罪な発明だなと感じていた。距離が縮まるはずなのに逆にその距離は遠くなっている。僕は完全に「のほほん読書」を止めた。

「ひとまず、あんたに電話してみたいのだが」

おじいさんは、若い女性店員の電話番号を聞こうと試みている。僕は近い将来そのテクニックを真似してみようと心にメモしている。

「お待ちください。私の番号覚えられますか」

信じられないが、若い女性店員は今日一番の笑顔をおじいさんに向けて本当に番号を教えようとしている。そんな展開があるのかと僕も僕で、ここだけは聞き逃してはならないような気がして真剣に耳を澄ませることにした。

しかしながら僕は、若い女性店員のお待ちくださいの言葉も引っ掛かり始めていて「お待ちください女性」と言いたい衝動を抑えながら準備をしている。

「お待ちください。良いですか。一度しか言いませんよ080~」

言った。若い女性店員が番号を言い終えた瞬間に僕は心にメモをした。ラッキーだ。一緒にお待ちくださいしていた甲斐があった。番号を言い終えた若い女性店員に、おじいさんはこう言った。

「ひとまず、これを押せばいいんかね?」

おじいさんは、電話のマークに愚図つくことなくタッチした。若い女性店員の首にかけた携帯電話の着信音が店内に鳴り響いた。

「お待ちください。もしもし。出来るじゃないですか」

横目でおじいさんを見ながら、髪を耳にかけ若い女性店員は電話に出て優しく微笑んでいる。それを見ておじいさんもさらに若返ったような笑顔で悦に入っている。さらに横で僕は、女性店員が髪をふいに耳にかける仕草を見ながら、のほほんとしていられなくなっている。

僕は一体、何を見せられているのかと二人の様子を見ていた。

「ひとまず、あなたの番号は覚えたからいつでも電話出来る」

しかしながら、こんなナンパがあるのかと僕はおじいさんを抱き締めたいくらいに感動していたが、それを行動に移すことは控えた。

「お待ちください。電話する時は10時から19時の間にしてくださいね。お店の携帯なんで」

そりゃそうだよなと思いつつも、こんな説明ならば、それこそ毎日来ても良いかなとも思っていた。おじいさんに、歳を重ねても積極的に街に出よと教わった気がしていた。

何かしらのお礼を二人にしたい。そう考えるのは自然の流れだった。たまたまのほほんと居合わせただけの僕が、二人に前向きになれる活力をもらったのだから。二人の合作を作品としてプレゼントしたくなっていた。

電話のかけ方を覚えたおじいさんと、若い女性店員のやり取りを聞いていて、もう僕は言わせたい衝動を抑える手段を知らなかった。

ぜひともお二人に「ひとまずお待ち下さい」を言わせたい。

僕は二人の後ろから回り込むようにし、ゆっくりと話しかけた。

「すみません。ちょっといいですか」

二人は振り向き言葉を発した。その結果は読者のご想像に委ねる。

僕は、僕の仕事に満足して携帯が調子悪くなるのもこんな展開に立ち会えるのなら悪くないなと考えていた。人それぞれ口癖があるが、真剣な時ほど無意識に何度も口から出てしまうことを知った。それこそが個性に見えて羨ましかった。僕にとって今後、のほほんこそが、個性にあたるような生き方をしていきたいと考えていた。僕には個性みたいなものが何一つも存在しなかった。

「『しかしながら』ひとまずお待ち下さい」

と無意識に、のほほんと口に出していた。

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