叶えるものと守るもの。夢うつつがもたらす世界~熊本ドッキリ旅3終~
前回までのドッキリ
ドッキリ1↓
ドッキリ2↓
朝7時が目覚めの良い朝ならばと考えた。その朝がくれる幸せはどれほどのものだろうか。明らかに頭痛と呼べる鐘が、頭の中で鳴り響いていた。ウェルカム。二日酔い。
旅行に来ているテンションで、どれほど呑んでも次の日には不思議なくらい何も残らなかったのに、最近の頭痛の警鐘は年月による体の変化を訴えてきていて、私の朝は悲しかった。
横で寝ているポップが仮に同年代の女性だとしたら、私はどんなにひどい二日酔いでも優しく起こすことが出来るのにと考えていたが、現実を認識しなければならないと妄想をやめにした。
今起きないと、今日は起きれない。
「記憶がない」
ポップは、私にそう告げた。いつもならば逆の立場だ。私は嬉しかった。なぜなら、私は全てを覚えていたからだ。
「君が記憶のないことは、知っているさ。僕に記憶が存在するからね。これから君に何が起きたかを話すよ。だけどそれは、嘘かも知れないし、作り話かも知れない。私が話す現実が君にとっての真実だったらいいね。それより、まずは温泉に行くんだ」
私達は、少なくとも大関が現場に入る前に会場入りしないとならない。今日は、この旅のメインイベントの講演会の日だった。
「夢と希望そして感謝」このテーマの前に、このままでは、「夢と希望を想像して感謝」で寝過ごして講演会が終わってしまう気がして、温泉で酔いを吹っ飛ばした。が、完全に吹っ飛ばしたのは、私だけだった。
会場に向かう車中、ポップは1キロ進むごとに一段階ずつ、運転している私に気付かれないように助手席を寝かす。気付けば、ポップはフラットになっていた。
「寝ながらで良いから聞いておくれ。君は、昨日『九州の女の子と結婚したかったんだ』と、『本当に可愛い』と、『明日も来るよ』を20回以上、可愛い女の子に囁いていたよ」
ポップは、腕で顔を隠しながら私に話す。
「えっ?まさか!お前じゃなくて俺がかぁ」
私は、いつもの記憶をなくした私がそれだったのかと、この時初めて気付いたのだが、動揺を隠すことには成功した。
「君は、連絡先を交換している。どうするかは自由だ」
私は、ポップが微笑しているのを見逃してあげた。
松橋町の会場に着くと、私に一つのメッセージが来ていたのに気付いた。
それは、さながらラブレターのように私を歓ばすには充分なドッキリだった。「う」、「め」、とカルタにあるように、彼女のSNSでの名前は、「うめ」という。彼女は、私の企画を応援してくれて、厄年には躍年になるようにと御守りをくれ、さらには私のカルタまで作って届けてくれた人だった。
私は、女性の住んでいる所を聞き出すのが特技なので、彼女が九州に住んでいるのは知っていた。だから私は「九州に行きます」と、このイベントの詳細を連絡していた。彼女の返答は、「二時間半かかります」だった。
「それは遠いなぁ。また今度にしましょう」と会えない残念さを嘆いていたのだが、えっ?まさか!と私に呟かせるには充分な、嬉しいメッセージだった。新幹線と電車とタクシーで、彼女はやって来た。
「ポップ君。信じられないが我々に会いに、ここに来てくれた人がいる」
私は、興奮を隠すように冷静に伝えた。
「それはすごいな。俺も信じられないが、限界がすぐそこまで迎えに来てくれている」
と、ポップは顔面蒼白で居なくなった。
私の書いている世界を信じているうめさんは、実物の私が想像以上のイケメンであることに特に驚いた様子もなく、むしろ昔からの知り合いのように話が弾んだ。
書くは、強しと思った。私は、私の世界に自分の思想を混ぜている。情けない感情も吐露している。初対面であろうが、理解してくれている安堵が何となく存在したのだが、ただ一つだけ謝罪しなければならなかった。
「今日、今まで出会った自分の中でも一番デカイです。自分でも見たことない自分で、初めてです。すみません」
過去最高体重を詫びた。
三人で大関の楽屋へ向かった。私が連れてくる人を何の違和感もなく優しく迎え入れてくれる大関や、千絵さんの空気は居心地が良い。紹介出来て良かった。
雑談を交わしている間、何度かポップは居なくなったが、戻って来る度に顔色は復活していた。
「夢と希望そして感謝」その題名に沿って大関は、18歳で日本に来たことから話す。一言も日本語を話せず、成田空港から当時は出るのにもお金がかかることも知らず、一緒に飛行機に居合わせた人が助けてくれてお金を払ってもらい、誰も知り合いがいないなか「箱崎」という地名だけを話し、教えてもらって高見山関と合流したという。
相撲のルールも知らない。日本語も話せない。強くなるしか存在を証明する方法がなかった。
「相撲のおかげ」という、言葉をこの日はいっぱい聞いた。「相撲のおかげ」で今の自分は存在し、「相撲のおかげ」で日本の人にも応援された。「相撲のおかげ」で親にも孝行が出来て、「相撲のおかげ」で引退してもこうやって皆さんの前で話しが出来る。今は、「相撲のおかげ」で世界で相撲を拡げるイベントもしている。
大関が得た「力」は、感謝からきている。
知っていたが、20年も近くにいて本当に何も変わっていないことに、安堵と自分も肯定される気分になる。
信じて好きになって良かったと思う。
大関は、私達に会うと必ず自分が今やりたいことを話してくれる。
話しながら、「お前らも止まるな」と言われていると思っている。年々、一緒にいられる時間は少なくなってきていて会っている時は、全力ではしゃぐが、「夢は見るものではなく叶えるもの」といつも教えられている。
私は、涙ぐみながら昔を思い出していた。そんな私の横では、夢を叶えるではなく、「夢中で夢を見ている男」が座っていた。
講演会が終わり、レセプションの時間まで時間があるので、私達と別れる前に最後お茶でもしようかとなった。
Joyful(ジョイフル)に行った。
「Joyfulは、関東でいうデニーズなんだ」と、夢から覚めた男ポップが雄弁に語った。夢から覚めた男は、大関から、「お前は寝てて聞いてなかっただろ」と怒られていたのだが、夢から覚めた男は、「言葉を全身で浴びてました」と伝えていた。
私は、うめさんを熊本駅に送る予定だったので、そのままJoyfulにも同行してもらった。
この辺が、ハワイアンである。誰も何も言わずそのまま受け入れるのだ。そして、うめさんも何の緊張も見せずにタケテルとやり取りしている。人間とは、不思議だ。
私は、初Joyful。略して初ジョを堪能した。私は、ピザを頼んだのだが大関がちょいちょい奪ってきた。
「炭酸とお茶をちょうだい」
と、大関が私に言うので、
「混ぜて良いんですか?」と聞いた。
「なわけないだろ」
と、怒られたので
「ハワイアンスタイルかと思ってました」
と、返事した。
ピザの分を取り返したと思った。
私達とは、これにてお別れだった。
大関と千絵さんと別れたあと、車でうめさんを熊本駅に送っていた。
「うめさん。お子さんは今どこに住んでるんですか?」
私は、女性の住んでいる所を聞き出すのが特技だ。
「東京です」
と、答えた。復活したポップが続く。
「写真ないんですか?」
さすがだ。スムーズだ。そして、娘さんは、めちゃめちゃ可愛かった。私とポップは、自然と溢れる笑い声を抑えられなかったのだが、
「急にイヤらしいおじさん達になるのやめてください」
と、怒られた。
「私達が、責任持ってご馳走します」
と、心からパパの立候補をしといた。何とも不思議な車内だったが、会いに来てくれて感謝しかなかった。二時間半をかけ会いに来てくれた。会えるときに会えて本当に良かった。
私達は、多くの人を同時に突き動かす何かを持ち合わせてはいないが、こうやって一歩ずつ、一人ずつだけど確実に繋がっていっているという事実が自分達を崩さないものにしているのも真実だ。私達は、皆に助けられている。
必ず返していかなければならない。
うめさんは、私に42歳のプレゼントとして、新しいカルタと本と御守りとそしてハンカチをくれた。
しっかりnoteも読んでくれている。本当に嬉しくなる。カルタに書いてある、
「バナナに肩並べTAWA」は、こういうこと。
下記記事をチェック。
ちなみに私の本名はTAWA 。
家に帰り、カルタを並べた。
SNSにおける私の歴史になっている。悪くない人生だと思う。うめさんとの別れ際に「また会いましょう」と約束をした。
約束とは、守るためにするものだ。
えっ?まさか!とは、言われなかったのでまた会えるだろう。占い通りに、えっ?まさか!を自分達で連発させた良い旅だった。
なんのはなしですか
小錦ドッキリ倶楽部。
九州ドッキリ旅は、これにて劇終。
エピローグというか記録
私達は、大関という幹に、枝として折れないようにしがみついている。私達で必ず咲かせて、枝を拡げていこうと思っている。今までの仲間とこれから出会う人達と。
次の日、タケテルから写真が送られてきた。
学生横綱と会ったらしい。
相撲を愛して、
どこまでも人に何かを与えている。
タケテルは、この後、大関の40周年と還暦をお祝いするため福岡でパーティーを企画し、実行した。私達が2022年に開催した伊勢原市での企画に参加出来なかったことを悔やんでいたからだ。
私は仕事で都合がつかず行けなかったが、ポップは、私と神奈川に帰った後再び九州へ見届けるため、そして私の分までドッキリするために飛んだ。ポップのこういう行動力には感謝しかない。
イベントは、盛大に行われ大成功だった。ポップは、奇跡的に帰りの飛行機が大関と同じだったらしい。どこまでも後味よろしい。
大関は、私達へのお土産と5月の相撲観戦を約束してくれた。
5月が楽しみ。約束は守るためにするものだ。