"raw"のものと"well-done"のもの

「すみません。ステーキの"raw"のものと"well-done"のものを2つ。"well-done"のものは彼女に、"raw"のものは私にお願いします。後、赤ワインのデカンタージュを1つ、グラスは2つお願いします。」

私はそう言い終えると、ウェイターは戸惑った様子で厨房に向かって行った。彼はきっと新人で、"raw"のものと"well-done"のものと言われてもさっぱり分からないから上司に聞きに行ったのだろう。と私は思った。目の前にいる彼女はこのようなレストランに連れてきてくれた喜びで微笑んでいる。今日の彼女の服装は気合いが入っているのかいつもよりセクシーである。久しぶりの2人での外食なので、私も綺麗なスーツを着てきたので不釣り合いなカップルには見られないだろう。私の耳には、"いつもはクールなお姉さんの甘々耳舐め奉仕"が流れている。彼女は無口なので私がイヤホンをしていても特に文句は言わない。彼女が何か話す時や、注文をする時などは片方の耳を外して対応すれば良い。今私は、いつもはクールなお姉さん耳に息を吹きかけられている。目の前には綺麗な彼女、耳に吹きかけられる生暖かく少し良い香りがする息、後は"raw"のものステーキと赤ワインのデカンタージュがあれば今日の夜は最高のものになる。

暫くすると先ほどのウェイターの上司のような身なりの男性が赤ワインとグラスを持ってきた。彼が私に赤ワインのテイスティングをさせず、味の確認をさせずにワインを注ごうとしたので私は少し待つように言い、何故飲む前にテイスティングをするのかを説明した。彼の顔は少し不機嫌になった。無理はない、こんな美人な女性の前で恥をかかされているのだから怒るのも当然だろう。私はワインの味を確認し、思った通りだと少し笑った後、彼にワインを注がせた。

彼がワインを注ぎ終えた後、「ステーキの件なのですが、私共はミディアムレアでステーキを熱した鉄板の上に乗せて提供し、焼き方はお客様に調整して貰っているのですがよろしいでしょうか。」と私に尋ねた。私は激怒した。先ほどのウェイターの接客もそうだが、この店にはホスピタリティが足りていない。せっかくの外食が台無しであると声を荒げた。周りのお客は静まり返り、私の方をじっと見つめている。私は咳払いをし、落ち着いた様子で「声を荒げて申し訳なかった。私がさっき注文したものは用意できるのかできないのか教えてくれ。対応によってはこの店の評判を落とす事も私にとっては簡単だということを踏まえ、よく考えて答えてくれ。」と言った。

少し考えた後、彼は「お言葉ですが、ステーキを生のまま出す店は食品衛生法上禁止されているはずですが。」と言った。私は「君の無知には呆れるよ。ワインもステーキも要らない。少なくともこの店ではね。会計を持ってきてくれ。」と言った。彼は「そうですか、では私も言わせて貰いますけどここはサイゼリアです。正装をしてステーキの焼き方を指定するようなレストランではありません。ワインもテイスティングをして味を確かめるような値段のものではありません。後、女性の絵が書かれた抱き枕を椅子に座らせてワインとステーキを用意するなんて、こんなこと言いたくありませんが正気の沙汰ではないと思います。お客様にこんな失礼なことを言ってしまって申し訳ございません。では伝票をお待ちします。」

私は何か言い返そうとしたが、彼の言う通りだった。心臓の音が速くなり、汗が噴き出てきた。目の前にいる彼女の、使い込んでできたシミが目から離れなかった。耳ではカウントダウンが始まっている。「じゅ〜う♡、、、、んふっ、もう辛そうな顔をしてるね♡」と彼女は言う。私のこの心の辛さに同情してくれたことに感動を覚えて、大きな声をたてて泣き出してしまった。会計は3000円弱だった。会計を終え、汚れた枕を抱えて私は家族連れや高校生のカップルに冷ややかな目線を送られながら外へ向かった。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?