「ヤバい奴見つけた」みたいなネットコンテンツしんどいよな
「お笑い」ってのは、根幹に「人の不幸を笑う」って感情があると聞いたことがある。真偽はわからん。けれど理解できる節はある。確かにそうなんだろうなと思う。子どもを見ていても、大人を見ていても、そう思う。
でもそれがお笑いの全てではないとも思う。「おもろい」って感覚は、誰かを蔑む冷笑や嘲るだけじゃなくて、むしろそれはもっと浅くて表層に過ぎず、その先にある「だからこそ愛しい」とか「だからこそ共感できる」「自分に重なって自嘲もできる」というものが湧き立ってこそ、「お笑い」は芸能だったりコミュニケーションスキルへと昇華していったのだと思う。
たとえば落語を聴いていても、登場人物のダメさや滑稽さを笑う時、「あんな人いるよね」「こういうのわかるわ」というクスッとした笑いが込み上げてくるし、それは情に近い笑いであり、時代や居場所が変わっても普遍的に理解できる感覚なのだと気づく。
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