将来世代負担タイトル用

政府債務は「将来世代の負担」なのか?

政府債務(国債)は将来世代の負担、将来世代のツケだ』という表現、ないしアナロジーは、財政論議で散見されるものだ。(例:放置されたままの将来世代へのツケ回し 政府・日銀の一体化で失われた財政規律

こうした主張に関しては、アバ・ラーナーの機能的財政論を引用しつつ反論する論者や、世代重複モデルを用いて擁護する論者など、賛否両論あり、また論点が不明瞭ないし複雑になっている。

この議論に関して、上述した機能的財政論と世代重複モデルの双方を扱いつつ、議論の整理をはかり、複数世代を考慮した財政論についての理解を深めることとしたい。

①機能的財政論による反対論

②世代重複モデルによる擁護論

③混乱の源は、「将来世代の負担」という言葉に関する意味の食い違い

④結局、政府債務を減らすべきなのかどうか

関心のある方には是非ご購読いただきたい。


①機能的財政論による反対論

アバ・ラーナーの提唱した機能的財政論(Functional finance)においては、財政というのは、「所得からやりくりする」タイプの家計的な財務とは根本的に異なるものであり、支出および徴税の水準は、それぞれの経済的効果のみに基づいて決定されるべきだ、と提唱される。このことは同時に、あらゆる財政活動の意味については、その効果(機能)のみから考察すべきである、ということも必然的に意味する。

機能的財政論の観点からすれば、国債を償還する際、他の人から通貨を徴収(徴税)して、同額分だけ国債保有者に対して支出するなら、単に通貨の保有者が移動しただけになるのであって、全体でのプラスマイナスはゼロになることになる。

実際には、国債償還に応じてマネーサプライ自体が収縮する場合もある(※なぜ日本は財政破綻しないのか?あるいは「お金」「通貨」はどこからやってくるのかを参照いただきたい)のでややこしいのだが、ここでは割愛する。

こうした観点では、国債発行にせよ、国債償還にせよ、通貨の水平移動にしかならないのであって、国債を発行すればするほど、将来のツケが増える、というようなことは起こらない。あくまで起きているのは、各期における分配の水平移動であって、各期を超越する分配の移動が生じることはない。

そもそも、現在の生産物は現在において分配され、将来の生産物は将来において分配されるのであって、金融的な分配がどのように変化しようが、実物生産には基本的には影響しないはずだ。(もちろん、マクロ経済政策の失敗によって、生産体制が毀損する場合はどうなるのか、といった問題はあるが、そのことについては一旦置いておく)

この意味で、今期における(国債発行を含めた)あらゆる金融取引は、将来の実物生産には何ら関係があるはずもなく、もし将来と関係があるとしても、それは実物生産水準ではなく、将来における分配の問題に過ぎない、と機能的財政論では考察されるのである。

こうした機能的財政論による理解においては、現在の政府債務が、将来世代の負担になる、ということはない。ここで想定されている「将来世代の負担」というのは、単に将来の全体での消費水準(=生産水準)の低下、という意味である。

図でまとめてみよう。

こうした記述は、実務的な観点(ないしMMT的な観点)からは粗もあるので、補足を加えた図も下に掲載しておく。


②世代重複モデルによる擁護論

一方で、「政府債務による将来世代負担は存在する」という主張を、世代重複モデル(Overlapping generation model, OLG)に基づいて行う一派もある。

Nick Roweの"Debt is too a burden on our children (unless you believe in Ricardian Equivalence)"(邦訳はこちら)が代表的な論考になるだろう。

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