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「 暮らす 」を見せる保育

トトトトト…
リズミカルなミシンの音が保育室に響いています。
ミシンの前には楽しそうにそれを見つめる子どもたち。

「 あれはぼくがえらんだの 」
「 つぎは〇〇ちゃんのかな?」

文字通り、目をキラキラさせながらミシンのまわりでおしゃべりしています。
そんな光景がここのところ保育園では繰り広げられています。

子どもたちは今、自分のためのリュックを一つひとつ作ってもらっているのです。

ミシン

きっかけは、子どもたちのままごとあそび用に保育者がリュックを試作したことでした。
お買い物ごっこなどを少しずつ友達と楽しめるようになってきた子どもたちは、近頃ままごとあそびのたびに、手提げバックの持ち手の部分に両肩を通してリュックに見立ててあそぶようになっていたのです。
それを見た保育者が、子どもたちがちゃんとしたリュックであそべるようにと、とりあえずのリュックを試作したところ、子どもたちは大興奮。

試作のリュックができあがる様子を見ていた子は、
「 △△さんがつくった!わたしの!わたしの!」
と持って帰らんばかりの勢いでお迎えのお母さんにお話していました。

子どもたちのあまりの喜びように、ここはひとつ、子どもたち一人ひとりに自分のためだけのリュックを作ってあげようとなったのです。


そこで、冒頭の子どもたちの姿につながるというわけなのです。
子どもたちは自分の好きな生地や肩ひもをそれぞれえらび、型紙にそって生地が裁断され、ミシンを通るたびにその形を変えていく様を、
自分のあそびのあいまにワクワクしながら見つめています。
自分の好きなあそびをしながら生地がリュックに近づいていくたびに確認しにくる子もいれば、興味のある子はずっとかぶりつきで作業を見守っていたりもします。 

こういう光景をみると、あらためて子どもを主体とした保育の素晴らしさを実感します。

保育室のお花

多くの保育園では、子どもたちの保育をしているなかで何か作り物の作業をするということは少ないのではないでしょうか。
こうした保育のなかで用いる備品やおもちゃなどは、バックヤードの子どもの目に入らないところで準備されるのが常です。
一斉保育をしている園や行事や習い事が詰めこまれている園だと、
子どもたちがいるなかでそういった作業をする時間的余裕も人員的余裕もないことが多いからです。

ですが、こうした日々の「 作業 」こそが、
人間の暮らしの中核をなすものではないでしょうか。
「 暮らす 」ということは、
住まう空間をととのえること、食べるものを準備し調理すること、
生きるために必要な道具を作ったり買ってきたり手入れしたりすること、
そのほかにも様々な「 作業 」のつみかさねで成り立っています。
私たちが生きていくためには、こうした日常の「 作業 」が欠かせません。

今の世の中はとっても便利で、こうした「 暮らし 」の「 作業 」を全部アウトソーシングしてしまうことも可能です。
コンビニに行けば24時間いつだってなにかしら手に入れることができますし、手軽な値段で食べたいものを食べたいときに食べることだってできます。
100均や300均に行けば服やかばんだって買えてしまいます。

でもあれやこれやとアウトソーシングしているうちに、
いつのまにか「 生きる 」ということを見失ってしまっていないでしょうか。
作り手の見えないものを食べ、由来のわからないものを身につけ、
実態の見えないサービスに囲まれ、
いったい「 生きる 」ことって何だっただろう。
そう手ごたえのない感覚を感じたことはないでしょうか。
「 暮らす 」ことをおろそかにすると、「 生きる 」ということの実感を掴みにくくなってしまうのだと思うのです。

もちろん自分の目標の達成や思い描く生活の実現のために、
意図的に「 暮らし 」をアウトソーシングすることは素晴らしいことだと思います。

ですが、まだまだ世界の仕組みも見えていない子どもたちが、
「 暮らす 」ということの実態を知らないまま、経験しないまま大人になるのはとても残念なことです。

なぜなら経験して知らなければ、
自らの意志で選択することは不可能だからです。
「 暮らす 」ことの本質を知らないまま大人になっていく子どもたちは、
どこに「 生きる 」ことの充実感を感じられるのだろう…。
新しい世代なりの生き方がまた見いだされていくのかもしれませんが、
そう心配してしまいます。

手作りリュック

「 生きる 」ことに彩りや充実感をもたらすのが「 暮らす 」こと。
そう考えて、ConoCoでは「 暮らす 」ということの、
できるかぎりすべての過程を見せられるように保育しているのです。
こうして子どもたちの前でミシンを縫うのもそう。
お料理をするのもお買い物から。
つくろいものや掃除をしたり、簡単な工事なども、
危険があったり健康への害がないかぎり、できるだけ子どもの目の前でするようにしています。

自分で好きな生地や肩ひもを選んで作ってもらったリュックができたとき、
子どもたちがどんな反応をするか楽しみです。
そして子どもたちの心のなかに、
一枚の布が大好きな保育者によって自分だけのリュックへと形を変えていった、その過程が温かな思い出として残ればいいなと願っています。
その経験と思い出のつみかさねが、
きっと子どもたちの人生に豊かな「 暮らし 」をもたらしてくれると信じて、今日も私たちはConoCoの保育を実践しています。

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