『僕はセンスがない④』
今日はちょっと違う方向性で話を進めていきます。
『『僕は努力のセンスがない』』
中学時代のお話しです。
僕は唯一努力をしなくてもできることがありました。
それは水泳です。
昔から泳ぐのが好きでよく温水プールに行ってずっと泳いでいました。
そのおかげか小学校の時に
スイミングスクール(ニスポ)に行くとわずか半年で一級までたどり着き
選手としてタイムを更新し続けていました。
中学に上がったタイミングでルネサンスに移籍したのです。
そこで強化選手コースに行き、凄まじいペースで成長していったのでした。
本格的に水泳初めて一年で県大会で入賞したのです。
これは努力ではなく、才能だけでここまできました。
やったらやった分だけ伸びて、
頑張ったら頑張った分だけタイムを更新する毎日です。
そんな絶好調の最中、事件は起きました。
コーチが変わり、メニューが一変したのです。
それを機に状況が変わり始めたのです。
いくら練習してもトレーニングしてもタイムは落ちる一方。
そうです。
「スランプ」の到来でした。
自分の限界を受け入れることができなかった僕は
もっとレベルを上げようとオーバートレーニングを繰り返していました。
そして腰を悪くしてしまいました。
それでも現実を受け入れられない僕はもっとレベルの高い
「イトマン」に移籍しました。
種目を変えて挑戦。
ダメなら他の種目。
全てうまくいかなかったのです。
そして故障。
最後のイトマン選手として大会でようやくスランプに入る前のタイムを
一年半ぶりに0、08秒更新。
ベストを更新して周りのみんなよりも2ヶ月早く引退。
3年生の中総体では大して泳げず、体を労わりながらベスト+2秒遅れで
水泳人生に幕を下ろしました。
中学の3年間で学んだのは
どんなに才能があって、やる気、根性があっても体が持たなくては
前には進めないという現実を目の当たりにしたのです。
体が壊れて残ったのは「後悔、悔しさ、憤り、憎しみ」
負の感情をたくさん持ちつつ、高校受験の勉強を始めたのです。
ここで皆さんに知っておいて欲しいことがあります。
『『『それは才能があっても「磨かなきゃいけない」ことではないことです。
ある才能をどんなに磨いても『最終的に伸びないこと』は必ずある』』』
ということです。
この時
僕は努力の儚さを思い知りました。
たくさんの努力はいつか身になる。
確かにそうかもしれない。
でも身にならない努力も確かに存在する。
『『僕は努力のセンスがなかった』』
中学の時にこれを知れてよかったと深く思います。
なぜなら、今、時を超えて生きているからです。
高校のときにこの経験を生かすタイミングが来たのでした。
それはまた明日話ます。
努力をすればいいわけではない。
正しい努力をしないと時間を無駄にする。
イチローさんが言っていましたね。
今の僕なら理解できます。
改めて言います。
「僕はセンスがない」
でも
「努力は誰にも負けない」
ってはっきり言えます。
なぜか?
僕は今、ここにいるから。
また会いましょう。