モテアマスでの思い出 アブドーラtheひで
(自己紹介と前置きと住むまでの流れ)
こんにちは。
元アブドーラこと、現 小池企画代表のヒデです。
現在28歳で、内装屋とジュエリーと服とかを作ったりしている人間です。男です。
僕がモテアマスに住んでいた期間は
たぶん2019/6/25~2023/3/30辺りまで
だいたい4年くらい。結構長かった気がします。
住んでいた場所はモテアマスの隣の敷地内の駐車場でした。モバイルハウスというでかい木の箱です。
モバイルハウス自体は2018年の夏くらいからモテアマスの脇に置いていました。自分のモバイルハウスの作成途中で元々作っていた作業場を追い出されてしまったのでモテアマスで完成させました。昼も夜も非常に暑かったのを覚えています。
元々僕は、日暮里にあった株式会社SAMPOというモバイルハウスを作るクリエイト集団に所属していました。そこで工場長としてひたすらモバイルハウスを作り続けていました。1年半ほど働いて28台ほど作りました。
時は遡り2018年の4~7月くらい
その28台のうちの1人にモテアマスの管理会社の社長のポールさんにお客さんとしてモバイルハウスの作成を頼まれ、1週間のワークショップという形でポールさんのモバイルハウス、名前なんだっけ?時雨とか小雨みたいな名前だった気がする。)を共に作り上げたのがきっかけでモテアマスという存在を知りました。確かマキタとかも来てた気がする。
たぶん春か夏とかでクソ暑くて、完成した後、SAMPO工場にはクーラーがなかったのもあって、クーラーのある部屋で寝たいとポールさんに頼んだところ、モテアマスに連れて行ってもらって、現小屋部屋←昔は鉄の2段ベッドがあった。)初めてモテアマスに足を踏み入れました。
その後、自分のモバイルハウスも作ろうとの事で日暮里の工場で作っていたところ、モバイルハウスが増えすぎたせいで置く場所も作る場所もないから、他で作業しろと他のメンバーからの意見もあり追い出されるような形でモテアマスに持って行ったのです。夏くらいに
そして、誰も自分を知らない人達のシェアハウスの前で、挨拶もコミュニケーションもロクにせず、ひたすら上裸でモバイルハウスを作る様はさぞかし異様な光景だったと思います。
当時はまだモテアマスは今のようにオープンな雰囲気ではなく、大人しい感じもあったので余計ですね。
そして、完成した後の自分のモバイルハウスは置き場所もないからそのままモテアマスの敷地に置いたまま1年ほど放置していました。何かしら有効活用してもらっていた気もする。確か。
その放置してた期間中にカズキタさんの3階の部屋とかの内装工事をした気もする。ながりなが3階まで来てりんごジュースかカルピスどっちがいい?と聞いてきて多分りんごジュース貰った記憶がある。
あと、外でタバコを吸ってたらコバくんも何かお菓子かカレーかチャイか何かくれた気がする。2人とも良い奴、好き。
でも基本的にはその期間、日暮里の工場でひたすらモバイルハウスを作っていました。
25台くらい作っていたあたりから飽き出した僕は株式会社SAMPOを抜け、内装大工になる為に、そして、会社から抜けたあとの拠点をポールさんに相談してモテアマスにモバイルハウスごと住みたいと連絡して2019/6/25あたりから住む事になりました。
家賃は駐車場代と共益費という不思議な形の契約でした。
そして、住み始めた初日の夜だったかな?みんなで飲み会をしていたので当時の住民のみんなに初めましての挨拶をする事になり、なんだかんだめちゃくちゃ緊張しながら参加した所、顔見知りだったマキタが横来なよと言ってくれて、非常に助かった記憶があります。マキタまじ感謝🙏
入居者にはニックネームをつける文化があり、僕の個人事業主の屋号がアブドーラだったのと、twitterのアカウント名が''アブドーラtheひで''だったので、入居当初はアブドーラと呼ばれていました。
アフドーラ呼び結構好きだった。でも、自分の名前名乗りまくってたらいつの間にかヒデに戻ってたな。
住み始めて数ヶ月位だった時に、僕がモバイルハウスをもう一台拾ってきたりして、そして先住民であり俺のお客さんの1人の根来マサキのモバイルハウスとかもあったから、ポールさんのも含めると一時期は4台モテアマスの敷地内に停めてあったな。壮観だったなあれは。
モバイルハウスというのは、基本的には電源とかインフラ部分は建物に依存する形で、家と言うよりはただの自分の部屋として活用するもので、電源さえあればエアコンも暖房も使えるので意外と生活できるものだった。
意外と生活が出来る程度のものなので、過酷ではある。風邪は引くと基本的に治らない。
僕はまあまあ気に入っていたけど、いまベッドで寝転がりながらこの記事を書けている一人暮らしのワンルームの部屋の方が好きかもしれない。
モテアマスから引越しの決め手は、映画ショーシャンクの空にをモバイルハウスの中で見ていて、感動シーンでこの牢獄、俺の部屋より広いな。と思って純粋に泣けなかったからである。
モテアマスから出るのはめちゃくちゃ寂しかった。
モテアマスに僕は4年近く住んでいたのもあって割と古株である。
入居当初は23歳とかで一番最年少だったりしたのだ。
色んな思い出がある。
書き出したらキリがないので、何となくエピソードをなんとなく書こうと思う。
(入居当初の俺)
その頃の僕は、前の会社SAMPOの8人くらいの限られた人間関係、しかもアートや社会活動等に全力を注いでいる、アングラというか一種のカルトのようなコミュニティから、モテアマスという社会に属しながらも色々な人間が互いに話し合い、折り合いをつけながら共に生活をするという、世間一般的には健康なコミュニティに足を踏み入れたのだ。
もちろん最初、僕は猫を被っていた。若さもあったので謎の自信もあった。しかし、少しづつ猫は剥がれ、変なトガりだけが突出した、言わば、ただのワガママボーイが現れてきた。
その時の僕は、掃除や洗い物などを率先してやったり成し遂げたことをひたすらグループLINEで共有する人間だった。とにかく認めてもらいたかったのだ。
しかし、共用部であるモテアマスの敷地に自分のモバイルハウスを2台置いた後、更に勝手に軽トラを無断で長期で置くという今の僕では考えられない暴挙をやってのけた。
もちろん邪魔である。ただでさえ4台のモバイルハウスが置いてある所に軽トラまで置いたのである。
やんわりと周りのみんなが邪魔な事を伝えてきていた気もするがその当時の僕はお構い無しに置いていた。なんなら天気のいい日には洗車までしていた。
ある時、勉強部屋で作業をしていた所、リビングからヒデの車が邪魔だよななどという声が聞こえてきて、僕はブチ切れてリビングへ突入、みんなと大喧嘩した。
喧嘩と言うより一方的な逆ギレである。言いたいことを言い切ったあと俺はモバイルハウスへ戻った。少し泣いた。
それからよく考えたら俺が悪いじゃないかと気づいて、みんなの共用部はみんなのもので、周りの意見を気にせずに使うのは良くないなと思った。
ルールがないからと言って好き勝手やるのは平和じゃないなと。
たとえ少数でも嫌な気持ちになる人間がいるならば、その意見にも一旦、耳を傾けた方が絶対に良いなと。
当時はそこまでは気づかなかった気もするけど、今こうして周りのことを考えるようになったのはその時がキッカケな気がする。
それからたぶん仲直りして、軽トラは片付けて平和に終わった。
あの時のみんな本当にごめんね。
それからは何となく良い感じの生活が続いた。
しかし、気づいたら僕はワーカーホリックとなっていた。
(ワーカーホリックの俺)
当時なかなかパンチのある彼女と付き合っていた僕はとにかくお金が必要だった。本当に。
内装屋の駆け出しだった僕は最初コバくんの紹介の内装屋さんに弟子入りして半年で喧嘩してやめた。俺も悪かったと思うけどあの社長も悪かったと思う。
その後、その時のお客さんのツテで川崎のほぼ半グレの塗装屋さんで内装屋さんとして所属した。ほとんど設備工事でトイレの便器の交換をしていた。たぶん300台くらいは交換した。
お金が必要だった僕は月曜日から日曜日まで日勤夜勤を繰り返し、たまの休みの日は自分で学んだ技術をポールさんやカズキタさんや知り合いの仕事を貰ってこなすというのを2年ほどやっていた。
服装はスティーブ・ジョブズの真似をして寝る時もプライベートも仕事着を着て生活をした。
当然睡眠時間も少ないし仕事以外のことは考えてないから少しの事でイライラするし、周りへのあたりも強くなる←主にリビングでリラックスしている住人に対し労働マウントを取るなど)、本当にむしゃくしゃした日にはステーキを2kg焼き、飽きるまで食べる、夜中にカロリーの悪魔のようなパンケーキを焼いて共犯者を募る、そして自分が食べ終わった食器はそっとシンクに置く。
基本リビングでは本当に素っ気なく、モテアマスに来たお客さんはほぼ無視するし、お酒を飲んだ日には酔っ払って何故かマキタにブチギレる。マキタほんとにごめんね🙏
しかしどれだけ働いても、不安は消えないし手元のお金も収入も増えない。自分の力の限界だったのだ。でも同じワーカーホリックの同志はいた。境遇が同じだったので、とても仲良くなれた。
そんな無茶を続けていたある日、僕はぶっ壊れてしまった。
コロナになっちゃったり、現場でのお金のトラブルや事故なども重なり、めちゃくちゃ借金とかも出来たのも原因だったと思う。
本当に全部無理人間となってしまったので、僕は全てをかなぐり捨てて滋賀県の実家に帰ることにした。その後すぐ、彼女からの連絡もこなくなった。
そんなめちゃくちゃな僕だったのにも関わらず、モテアマスを出ることになった日にはみんな悲しんでくれた。みんな本当にいい人たちだった。
逆に3年間、無茶してもなんとか仕事を続けられたのは、確実にモテアマスで出会ったみんなのお陰だった。色々と自分は酷かったけどめちゃくちゃ楽しかったし。
女子中学生とかアングラ高校生とかIQ700000の男の子とか色々いたけど割愛する。みんな元気だと良いな。
(実家での俺)
ひとまず滋賀県の実家に帰って来た僕は、母と2人暮らしすることになった。しかし、母もまたパンチのある女だったので、母に言われた通り、帰省してすぐ働かざるおえなかった。
母の知り合いツテの水道屋でひたすら半年ほど働いた。土とか掘りまくった。
水道屋はみんな良い人だったけど東京の刺激に慣れすぎた僕にはめちゃくちゃにつまらなかった。
母とは帰省してすぐ大喧嘩したが、俺の勝ち。初めて勝ったけどとても悲しかった。母もまた人間だったようだ。成長したな俺。
母と仲直りした後は、他にやることも無いので色々な作品を作ろうと思い、色々と挑戦した。ボート作って山の中の池で浮かべてみたり、油圧式のリクライニングチェアを作ってみたり。
全部失敗した。実家はやはり実家なのである。良くも悪くも母の干渉が、いや愛の圧がすごい。
あんまり実家に長居するのも良くないと思っていた矢先、自分の乗っていた車が壊れた。
車の買い替えでメルカリで見つけて買った車を埼玉に取りに行くことになった。
夜行バスで埼玉まで行って車を購入した後、千葉のながりなの家に遊びに行ったり、半年ぶりに仲の良かったモテアマスの過去の住人と会ったりした。
そして何となく、その子とモテアマス行こうと寄ってみた所、住民のみんなが大喜びしてくれて、ほぼ悲鳴のようだったが、とても喜んでくれて、早く戻ってきて欲しいと言ってもらえた。とてもかっこいいとも言ってもらった気もする。
その時、すぐに東京に戻ってこようと思った。
(モテアマスに帰還する俺)
それからの俺は早かった。滋賀の実家に帰って自分の荷物を全部載せすぐに戻ることを決意、しかし、かっこいいと言ってもらった、そんな自分を鏡で見たところ、めちゃくちゃに太っていた。とんでもなく。
ボロボロになって実家に帰った半年前から15kg太っていたのだ。
親と職場の人以外、誰にも会うことの無い環境では僕はここまで堕落してしまうのだ。と気づいた。
健康的なコミュニティとは、自身の健康において非常に大事だったんだと。
僕のことをかっこいいと言ってもらったからには言ってくれた人に恥をかかせないようにしなければと、モテアマスへの帰還を1週間延長し、実家の母が購入して眠っていたランニングマシーンに乗った。
そこから1週間、ひたすら走った。
ダイエットなどすぐに効果など出るわけないが、本気だったので3kgほど落としてから東京へ向かった。
(モテアマスに帰還して、モテアマスを卒業した俺)
モテアマスに帰ってきた。
リビングの情報量も横に停まってる俺の家も、半年前のまま、いや物はなんか増えてる。
そんな空間も僕にとってはとても居心地の良い空間だ。
仕事も決めずに何もなしで戻ってきたので、ひとまずカズキタさんにお願いして仕事を貰って、本当にたまにちょこちょこと働きながら、ひたすら夜は走った。
あんなにワーカーホリックだった俺はもういない。
全てはかっこいいと言ってくれた人達のため、いや自分のために、美しい人間になる為だけを最優先する。
不安だったお金や収入、地位も名誉ももういらない。
ただひたすらにルックスだけを磨く。
字面だけ見ればさぞ凄いことをしているように見えるが、働かずに中野からもらった蕎麦を食べて夜に走って寝る生活をひたすらやった。
仕事のキャリアなんか正直どうでもいいからとにかく痩せたかった。
全てを捧げた結果、めちゃくちゃ痩せた。
痩せたのは非常に喜ばしかったが、全てを捧げた代償がある。仕事をしたり生活をしたりしないと行けない。
でも、どうしてもどうしても働きたくなかった俺は職業訓練校という国の素晴らしいシステムを知る。
職業訓練校というのは、主に失業手当を貰える人間が次の就職に向けてお金を貰いながら技術を学べるのだ。
もちろん僕もやる事にした。
個人事業主だったので大した金額は貰えないが、働かないで済むならそれでいいという思いで申し込んだ。あっさり通って2023年の4月から北千住の先にある綾瀬の職業訓練学校に1年間通うことになった。僕は木工技術を学んだ。家具とか作った。
三軒茶屋から綾瀬はめちゃくちゃ遠いのもあったし、ちょうど最初の方で言ってたショーシャンクの空にを観た影響もあって、2023年の3月末にモテアマスを出た。
そして学校を卒業した後、今に至る。
モテアマスを出たあとも、とても好きな人が住んでたからその人だけには会いに行っていた。
(終わりに)
ほぼ4年間だ、人もたくさん入れ替わっていろんな人間を見た。
人を褒めるのが天才的な人、深呼吸するだけで気持ちよくなれる人、一生パソコンを打ち続ける人、発狂する人、シンプルに変な人、少しづつおかしくなっていく人、一生ゼルダをやる人、険悪なムードな人達、普通にイチャイチャしてる人達、誰かわからない人、知らない人、不審者、靴屋さんと間違えて入ってきたグラビアアイドル達←結局住んでた)、陽気なアメリカ人、エロい人、まだまだ居るけど割愛。
全然性格が合わなくて嫌いになった人ももちろんいた。でもいたって全然いいんだと、今になると思える。
嫌ったって、喧嘩したって、仲悪くなったって、めちゃくちゃ仲良くなれる奴もいたり、同志みたいな奴もできたり、結婚して出て行った奴もいたり、本当に地獄みたいな空気が流れたり、羽目を外しすぎたりとか、どんな人種もひっちゃかめっちゃかでも何故か成り立つ。そういったものこそがコミュニティの醍醐味なんだと思う。
なんだかんだコミュニティとして継続的に生活を共にするということはこんな感じなんだと、ドキドキもハラハラもリラックスも、ただ僕は普通に生活していただけなのにたくさんの刺激があった。幸せだった。
そんなモテアマスはもうすぐ爆破される。正直、終わるなんて考えてもなかった。
モテアマスという建物は爆破されるが、結局モテアマスに惹かれるような似ている人間が集まっていたところだ。またどうせどこかで会うのだろうと思っているので、個人的にはあの場所が無くなってしまうのだけは寂しいなと思っている。
でも、終わりがあるということは始まりがあるということ。
アーバンジャングルというでかい施設も完成しつつある。
今まで培ったモテアマスというコミュニティでの経験は、モテアマスに関わったみんなにとって本当に素晴らしい財産になると思う。
幸せだった思い出も苦い思い出も、ぜーんぶ含めてモテアマス。
自分の脳のメモリーでは持て余すほどの思い出が沢山沢山つまってます。モテアマス。
モテアマスの女子達がたくさんチヤホヤしてくれたのは一生の思い出。
まじで幸せだった。
まじで。
おしまい