見出し画像

最新のオーパーツは中国の始皇帝地下墳墓に存在した!!?

兵馬俑(へいばよう)とは……

古代中国で死者を埋葬する際に副葬された俑のうち、兵士及び馬をかたどったもの。狭義には陝西省西安市臨潼区秦始皇帝陵兵馬俑坑出土のものを指す。
古代中国の俑は死者の墓に副葬される明器(冥器)の一種であり、被葬者の死後の霊魂の「生活」のために製作された。春秋戦国時代には殉葬の習慣が廃れて、人馬や家屋や生活用具をかたどった俑が埋納されるようになり、華北では主として陶俑が、湖北湖南の楚墓ではとくに木俑が作られた。兵馬俑は戦国期の陶俑から発展したものだが、秦代の始皇帝陵兵馬俑においてその造形と規模は極点に達する。漢代以降も兵馬俑は作られたが、その形状はより小型化し、意匠も単純化されたものとなった。

Wikipedia・兵馬俑

筆者所感

私事ではあるが、先日静岡の兵馬俑展を訪れてきたので、その所感をここに記す。端的に言えば圧巻の一言である。話には聞いていたものの、実物の存在感や造形美、多様性は筆舌に尽くし難い。ただただ素晴らしい体験であった。機会があれば読者諸兄も実物を見学しに行ってほしい。

京都京都市京セラ美術館 2022年3月25日(土)~6月22日(日)
静岡静岡県立美術館         2022年6月18日(土)~8月28日(日)
名古屋名古屋市博物館.    2022年9月10日(土)~11月6日(日)
東京上野の森美術館.        2022年11月22日(火)~2023年2月5日(日)

兵馬俑の歴史

かつての世には殉葬という文化が存在した。

このシステム自体は決して珍しいものではない。古代エジプトやメソポタミアにも存在したし、身近な例で言えば卑弥呼が亡くなった際にも100人もの奴隷が共に葬られたとの記述が『魏志倭人伝』に残っている

しかし個人的な意見を言わせてもらえば、殉葬自体は断じて良い文化ではないと考える。例え殉葬をする人物が主体的であってもだ。古代という生きることさえ命懸けの過酷な時代に、ヒトやモノという貴重なリソースを無為に浪費するのは馬鹿げているとさえ言える。きっと古代人の多くのも同じように考えたのであろう。

結果として、人に変わるモノとして『土偶』、すなわち『俑』が生まれた。そして、それは多くの文化圏に共通して見られる特徴の一つである。

中国の兵馬俑

後の世、1974年に中国の臨潼県西揚村の住民達が井戸を掘ろうと地面を掘り返していた際に人型の何かが出土した。しかし、この世紀の大発見も当初はその価値が正しく理解されなかった。真に脚光を浴び出したのはさらに数ヶ月後のことである。とある記者が訪れた際に価値に気付き、記事を書いたことで上層部の目に留まり、考古学チームが発足したのだ。

それにより次々と兵士や馬、その他多数の俑が発見され、最終的には8000体もの兵馬俑が発見されるに至った。

兵馬俑の価値

しかし、真に驚くべきはその数ではない。兵馬俑にはどれ一つとっても同じ物が存在しないのだ。顔の造形をよくよく眺めてみれば一つ一つ違った個性が見て取れるし、中国という大規模国家であるが故の民族の多様性もハッキリと克明に存在しているのだ。

以下私が撮影した写真(※館内は撮影可・ただしフラッシュは不可)

中国という国の奥深さ

これらの造形は非常に精緻で素晴らしい物であった。特に4枚目の横からの写真を見てほしい。肩周りや背中、腰、腹の辺りの膨らみから感じる造形美は、今まさにこの兵馬俑が動き出してしまいそうだと感じるほどに素晴らしい物であった。

これだけのものが8000体も存在し、さらに当時は着色までされていたのだというから驚きである。風化してしまう素材で作られていた部分に関してはどうしようもないが、それ以外は全てほぼ当時のままで現存している。まさに圧巻の一言に尽きる。他にも軍を意識した編成になっていたり、文化的な物も多かったりと実にバラエティに富んでいた。

中国という大国の文化の厚みを深く意識させられる体験であった。

上記画像参照元*User:Bencmq – 投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=5291792による

いいなと思ったら応援しよう!