フェア・トレードへの思いの原点、「MOTA車一括買取査定」これまでの軌跡
MOTAの主力事業である車の一括買取査定サービス。現在は、業界トップクラスと呼べるほどに好調ですが、リリース当初は低迷期間が長く続きました。それでも諦めることなく、事業としての可能性を信じ続けることができた理由はなんだったのか。代表取締役社長の佐藤大輔、買取事業部GMの甘城裕之、最高マーケティング責任者の柳澤祐太の話から、原点を辿ります。
第一章
「業界を変える」熱い想いを込めた旧Ullo(ウーロ)はリリース2カ月でクローズ
はじまりは車のフリマ型ビジネス
MOTAの創業は1999年(前身の株式会社Autoc-One(オートックワン)から2019年にMOTA(モータ)に商号変更した)。紆余曲折があり今の形になるのですが、社長の佐藤も創業から在籍していたわけではありません。佐藤に「MOTAの社長にならないか」と声が掛かったのは、2016年頃のことでした。しかし、当時はMOTAが掲げる「自動車の流通を変える」というビジョンが実現可能なものとは思えず、断っていたそうです。
ただ、カスタマー(※)にとって不透明な自動車の売却プロセスに疑問を抱いていたのも事実。社長ではなく、取締役としてアドバイスならできるかもしれないと、佐藤はMOTAにジョインすることになりました。
取締役に就任後、佐藤が最初に起案したのが、フリマ型中古車買取サービス『Ullo(ウーロ)』でした。Ulloは、一般的な車買取や一括査定サービスとは異なり、カスタマー本人が価格を決めて車を売り出すことができるフリマ型のサービスです。
Ulloをリリースするにあたり、「うまくいかないから俺は辞める」というわけにはいかないと腹を括り、社長就任も決断しました。そうして2018年3月にUlloはリリースされたものの、結果的に2カ月ほどでクローズすることになったのです。
自己評価額は「思い入れ」がのる分、高くなる
うまくいかなかった原因を、柳澤は「カスタマーの愛車に対する強い思い入れを予測できなかったこと」だと振り返ります。カスタマーが「大事にしてきた車だからこれくらいで売りたい」と出品する価格が相場よりかなり高いケースが多々あり、ビジネスとして成立しませんでした。
Ulloの起案者である佐藤は、うまくいかなかった原因を自分の覚悟の甘さと、考え抜いたアイデアではなかったからだと考えました。リリース前から感じていた不安にも、「でもなんとかなるだろう」と蓋をしていました。しかし、リリースされるとその不安が現実のものとなったのです。
5月のリリース直後から不振が続くUllo。どう立て直すべきか、問題点の解像度を上げると同時に、解消案の検討が続きました。結果、次モデルが見えた時点でUlloのクローズを決断。リリースからわずか2カ月後のことでした。社内からは早過ぎる決断に反対の声も挙がりましたが、全社で確認した思いは「Ulloはクローズしたけれど、この領域から撤退しない」というもの。クローズから3カ月でサービスを作り直し9月に再リリースするという目標を立て、急ピッチで開発を進めていきました。
考え抜いた先に見えた光
再検討当初は、すでに他社が成功している一括査定を踏襲してはどうか、という案も出ていました。まずは売り上げを立て、資金面に余裕ができてから新たなチャレンジをしてはどうか──。しかし、すでにあるサービスを後発で真似しても勝算は低い。しかも、それはそもそもMOTAがやるべきことなのか。考え抜いた先に出てきた案が、事前入札制の一括査定サービスでした。
従来の車の一括査定サービスは、申し込み後に複数の会社や買取店から電話連絡がくることがほとんど。複数の査定を受けるには、都度そういった電話に対応しなければいけませんでした。しかし、事前入札制の一括査定サービスなら、ネットで申し込みをした後は高額査定をしてくれた買取店からの連絡を待つだけ。繰り返される煩わしい電話対応が不要です。最大10社からの査定額をネット上で確認し、高額査定してくれた買取店のみに実車確認を依頼すればよい、という流れでした。
自動車を売りたいカスタマーにとって、価値あるサービスになると確信し、一括買取査定サービス『Ullo』を再リリース。名前はサービス内容が分かりやすいことから変更せずリニューアルという形になりました。前サービスのクローズからおよそ3カ月。目標通り、9月には新サービスをリリースしたのです。
第二章
“苦肉の策”が大きな転機に
見えたはずの光は、再び闇に
今度こそ、サービスは順調に滑り出すはずでした。しかし、いざ蓋を開けてみると、カスタマーがネット上で複数の会社や買取店の査定額を確認した後、そのどれも選ばない(=連絡しない)という想定外のことが起きました。
当時のサービスは、クライアント(買う側)が車両情報を取得する度にMOTAに料金を支払う仕組みでした。料金体系自体は他社と大きな差はありませんでしたが、他社ならばカスタマーの個人情報まで取得できるのに対して、Ulloの場合はカスタマーから選ばれない限り取得することができません。クライアントは「課金され損」だと感じクレームが殺到。リリース早々、その対応に甘城を始めとする営業メンバーは明け暮れることになりました。
1つ目のサービスに続き、2つ目のサービスにも早々に暗雲がたちこめてきました。なぜ連絡をしてくれないのか──思い悩んだ佐藤は、休日を利用し、一人旅に出掛けました。ゆっくりリラックスするため、ではなく、気を散らすことなくとことん考え抜くためでした。
不意に浮かんだ、“逆転”の発想
道中も宿にいるときも、「なぜカスタマーは高額査定店に連絡をしないのか、どうすれば連絡をしてもらえるのか」を考え続けた佐藤。査定額を見て満足してしまうのか、あるいは提示された査定額を安く感じてしまうのか。色々と考えてみたものの、明確な答えはこの時点では出ませんでした。
旧Ulloの反省点は、愛車への思い入れが値付けに影響するとは予測できなかったこと。車に限らず、フリマ型サービスなどでも出品時に高めの値付けをして、後で値段を下げていくというのはよくあることです。フェア・トレードを実現する意味でも、その点はどこかで修正を入れないといけないと、佐藤は考えていました。
そして夜通し考え抜いた結果、発想を逆転させるということに思い至ります。10社からカスタマーに選ばせるのではなく、査定額上位2社をこちらが選んで紹介するというシステムに変更してはどうか。この案を思い付いた佐藤は、すぐに柳澤に電話をかけました。「上位2社の紹介制に変更しよう!」。まだ夜が明け切らない時間のことでした。
しかし、佐藤の興奮をよそに、柳澤は猛反対しました。反対したのは柳澤だけではありません。煩わしい電話対応が不要なことをメリットと謳い開始したサービスなのに、2社紹介制にすると、その2社からは確実に電話がかかってくること。また何よりも、サービス側で2社選ぶということが、フェアの精神に反すると感じたからでした。
それでも、カスタマーが「車を売りたい」と考えているのは紛れもない事実。その背中を押す必要があること。また10社から2社に絞っていることに価値があること。佐藤は2日間かけて、社内のメンバーを説得して回りました。当初反対していた柳澤も、佐藤の想いや2社紹介制の価値に理解を示すようになっていったのです。
数日後、メンバー全員が納得した上で、Ulloを上位2社の紹介制に変更。リリースから変更まで、わずか8日間。またもや、スピーディーな決断でした。
霧が晴れるようにビジネスが軌道に!
2社紹介制にしたことで、クライアントからのクレームは激減。佐藤は、この変更が大きな分岐点だったと振り返ります。しかし、社内に漂う雰囲気は、まだ「いけそうだ!」という士気溢れるものではなかったといいます。クレームは減少したものの、申し込み数が想定より増えなかったからです。その要因のひとつが、当時はクライアントに大手が含まれていなかったこと。クライアントの大半は、小さな会社や、地域密着型の買取店でした。
大手が参入しない理由は、「複数の会社が入札に参加すると、どうしても値段が上がるのでやる意味がない」という辛辣なもの。しかし、これこそがこのサービスのメリットだと、佐藤を始めとするスタッフは確信していました。カスタマーにとっては高く売れるという価値になるからです。
この頃、認知拡大に向けた施策も打ち始めました。掲げたキャッチコピーは「2度目に選ばれる一括車買取査定」。カスタマーにとって、高値で売却でき、さらに売買にまつわる煩わしさからも解放されるので、2度目に間違いなく選ばれる、そんな思いを込めました。また、サービス名もUlloから現在の『MOTA車買取』に変更。最初のUlloリリースからおよそ2年後、2020年1月のことでした。
またもや現れた壁。苦肉の策が鉱脈を掘り当てた
こうした努力が功を奏し、徐々に利用者が増えていきましたが、同時に、新たな懸念点も出てきました。上位2社紹介制にしたとはいえ、クライアントは車両情報を受け取った時点で課金されます。そのため、上位2社に入らなければ意味がないと、あえて高値をつけて上位に入り、実車を見て現地で査定額を値引くというやり方をする会社や買取店が出てきてしまったのです。
そのことへのカスタマーからのクレームが増えたことはもちろんですが、真面目にやっている会社や買取店ほど離れていくという厳しい状況に。「フェア・トレード」を掲げるMOTAの理想と真逆のことが起こってしまったのです。
そこで甘城は、新たな料金体系を発案しました。車両情報を受け取った時点の支払額を減額。その代わり、上位2社になり個人情報を入手できた場合の価格を上げるモデルでした。同時に、上位2社紹介制から上位3社紹介制への変更も行いました。
「苦肉の策だった」と甘城は当時を振り返ります。佐藤も、理屈は分かるからまずはやってみようと賛成はしたものの、これが大きな転機になるとまでは思っていませんでした。ところが、この変更がクライアントに受け入れられたのです。これを契機に、一括買取査定は文字通り会社を牽引する事業へと育っていきました。
第三章
業界トップクラスへ。そしてまた始まる新たな挑戦
新料金体系に変わる前後から、柳澤が佐藤に提案し続けていたことがありました。それは「認知広告にトライする」こと。それまでも、サービスの利用を促すアフェリエイト広告やWEB広告は積極的に行っていましたが、TVやラジオのCMに代表されるようなブランド認知を上げるためのマス広告は行っていませんでした。
柳澤は、佐藤に会うたびに、それがエレベーターでもトイレでも「認知広告をやりましょう」と言い続けました。当時事業は安定しつつありましたが、新規営業でクライアント候補に電話をかけ「MOTAです」と名乗っても、相手の反応が鈍く、MOTAの名がまだまだ知られていない現実に直面していた時期。次のステージに進むためにも、認知拡大の必要があると柳澤は考えていました。
佐藤も同じ考えは持っていたものの、マスメディアで展開する認知広告には高額な投資が必要なため、すぐにGOを出すことはできませんでした。しかし、事業が上手く回り始めたことで、今が攻め時だと判断しました。
まずは車に乗っている人が聴く機会の多いラジオを媒体に選び、東京FMでトライアルを開始。主要エリアに絞って配信数を増やしていき数カ月が経った頃、如実に「MOTA」の検索回数が増えていきました。その伸びが武器となり、新規営業もよりスムーズに進むように。また、「買取価格が高くなるから」と二の足を踏んでいた大手企業も次々と参画し始めました。MOTAの一括買取査定が、業界で無視できない存在になってきたからです。それらがエンジンになり、さらに事業は急成長しました。
認知広告にトライすることを提案し続けた柳澤も、最終的にGOを出した佐藤も、マス向けの認知広告出稿は初めての挑戦。走りながらノウハウを積み上げていきました。その特徴は、マス向け広告とはいえ徹底的に費用対効果を測っていること。CM配信期間の前後における依頼数の増減を追うことはもちろん、CMの媒体・内容ごとに効果検証し、配信コストに対して最大のリターンを追求し続けました。そして遂に難しいと言われていた買取査定依頼数トップクラスの位置にまで上り詰めたのです。
世界中へもっと、フェア・トレードを
決して平坦ではなかったこれまでを改めて振り返ると、佐藤や甘城、柳澤をはじめとするメンバー全員が、常識を疑い、新たな仕組みづくりに挑戦したいという闘志を燃やし続けてきたことが分かります。
今回話を聞いた3人は、それぞれに、タイミングは違えど「このサービスは無理かもしれない」と思ったことがあると語りました。それでも、「真面目にやっている人が報われる商流を作りたい」「業界をより良くしたい」「どの業界にも問題はあるけれど、車の買取については自分たちの手で変えられる可能性がある」と諦めることはしませんでした。
その一人ひとりの思いが現在のMOTAのミッション「世界中へもっと、フェア・トレードを」につながっています。MOTAの考えるフェア・トレードとは、日常の流通に潜む課題を見つけ、人々の不便、不安や不満に正面から向き合い、変えていくことです。
(24年9月9日取材/11月22日初出)
最後に:
一緒にチャレンジしてくれる仲間を募集しています!
最後までご覧いただき、ありがとうございました。読んで下さったみなさんの中にMOTAで新たなチャレンジをしたいと思ってくださる方がいらっしゃると嬉しいです。
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