ドラゴンクエストが教科書だった我が家
今年29歳になるわたしのゲーム歴は実に30年になる。
理由はわたしの母が妊婦のころにゲームをしていたからだ。
よく胎教にはクラッシックを聞かせるといいというが、わたしの場合はドラゴンエクスト6のBGMだった。ゲームの英才教育である。
物心ついたころからゲームに触れていた。
当然保育園児がコントーローラーを巧みに操ったり、文章が読めるわけがないので、母がプレイする様子をじっと見ていた。
はじめは母も趣味でやっていたゲームも、次第に「強制労働」となっていた。毎晩のようにわたしがプレイを強請ったからである。
文字が読めないわたしは母にテキストを読み上げるように迫った。
母は読み上げる。
「まもののむれをたおした。けいけんち10ポイントかくとく。5ゴールドをてにいれた。」
これを永遠と続けなければならない。共働きで仕事終わりの母には新手の苦行だっただろう。
このころのわたしの口癖は「これなんて読むの?」「どういう意味?」だった。母はこれにすべて答えた。
ほかに「スーパーマリオ64」のプレイも強要した。母は壁キックが異様に上手くなった。
しかしながらこれを功を奏したのか、わたしは比較的言葉を覚えることに苦労しなかった。小学校1年生に上がるころには、自分で絵をかき、テキストを添えた簡単な漫画をかくようになっていた。
絵は拙く、1ページ1コマというダイナミックな漫画だったが、きちんとホッチキスで閉じ、製本まで済ませていた。
母曰く、内容は単調だが起承転結があり話の筋が通っていたのとこと。わたしも見返したことがあるが、確かに小学校1年生が書いたにしては、きちんと漫画になっている。じゃがいもがカエルをペットにしているという、謎設定は理解に苦しんだが。
4年生になるころ、わたしは「ドラゴンクエスト5」を手に入れた。
意外とRPGは難しい。東西南北が理解できなければマップは分からないし、特定の人物と会話したり、特定の場所にいかなければストーリーが進まないことはザラである。
まだインターネットが普及していない時代、パソコンで攻略サイトを見るなんて手段はなかった。
ストーリーにつまづいて困っているわたしに、父が攻略本を差し出した。
父が自分用に購入したものだった。
わたしは攻略本という強い味方を手に入れ、宿題もやらず、ひたすらドラゴンクエストをプレイしていた。親の手を借りず、全部クリアできたのはドラゴンクエスト5が初めてだった。
「もすこさんは家でどんな勉強をされているんですか」
小学校5年生にあがったときに行われた三者面談での先生のセリフである。
わたしは最低限の宿題以外の勉強などしたことがなかった。なんなら宿題もギリギリまで手をつけなかった。ゲームをしていたからだ。
「いえいえ、家ではゲームばっかりで。勉強なんかさせてませんよ」
母は正直にこういった。勉強なんかさせてないのもどうかと思うが、母は「勉強をしろ」と一度もいったことがなかった。夜にはわたしとゲーム機の取り合いをしていたくらいである。
案の定先生は驚いていた。勉強もせず、常にテストで高得点をだしているのが珍しいらしかった。お世辞かもしれないが。
確かにテストの点数がよくない子の中に「問題文が理解できなかった」「問題の意図が思っていたのと違っていた」という子がいる。問題を解く手前でつまづいているのだ。
テストを解くためにはもちろん答えを暗記する必要があるが、その前に文章を正しく理解する「読解力」が不可欠になる。
わたしはこの「読解力」に関して困ったことは一度もなかった。
今思えばわたしはドラゴンクエストを通じて「勉強」していたのだ。
自分で考え、わからないことがあれば攻略本という辞書から必要な情報を読み取り課題を解決する。RPGはわたしにとっての問題集であり、攻略本は参考書だった。
今でもゲームを禁止する親は多いだろう。
けれどゲームのおかげで周りの子供たちよりもちょっぴり楽に小学校生活を送れた人間もいる。
学習材料は教科書だけではない。
もしも子供ができたら、今度は自分がドラゴンクエストの読み手となってみたいと思った。