西山太吉と西山事件に下された半世紀前の辛辣な結論
加藤文宏
なぜいま西山太吉なのか
沖縄返還を巡って日米間で取り交わされた「密約」をめぐる西山事件の主、元毎日新聞記者の西山太吉が2月24日に心不全のため死去した。91歳だった。西山の死が報道されると、ジャーナリストの江川紹子は
とNHKの訃報を紹介した。
江川が言う「当時のプロセス」とは何か。取材プロセスであろう。
1971年、佐藤内閣は沖縄返還に際して地権者に対する土地の原状回復費400万ドルをアメリカ合衆国が支払うと発表していたが、実際には日本国政府が肩代わりする密約を結んでいた。返還交渉を取材していた西山太吉は、肩代わりを約束する秘密電文の存在を外務省の女性職員Hから聞き、彼女に求めて電文のコピーを入手した。
「密約」の存在をほのめかすにとどまる西山太吉の記事を毎日新聞は掲載したが、この時点では大きな政治的問題にはならなかった。すると西山は電文の決済印を消して情報源を秘匿することなく社会党の代議士に渡し、1972年に同党の横路孝弘と楢崎弥之助がこの秘密電文を使い国会で政府を激しく追及して、佐藤内閣を揺るがす事態となった。
電文のコピーが政府に渡ったことで女性職員Hの関与があきらかになり、彼女は国家公務員法の機密漏洩の罪で、西山も同法の教唆の罪で逮捕されるに至った。東京地検が起訴状に「ひそかに情を通じ、これを利用して」と書いたことがわかると、Hとの肉体関係を利用した西山の取材手法の異常性に注目が集まった。さらにHが既婚者であったことがスキャンダルに拍車をかけ、西山のみならず毎日新聞は批判にさらされている。
起訴状が公開された日、毎日新聞は「西山記者の私行についておわびする」と声明を掲載して、「主張すべきは主張する態度にかわりのないことを重ねて申述べます」と宣言したが、以後「密約」について紙面で追及することがなくなった。
西山とHの肉体関係については、両者合意のうえであるとする説と、西山からむりやり犯されたとする説があるが、裁判があくまでも機密の漏洩を問うものであったため強姦であるか否かは結論が出ていない。ただし西山の刑が確定した最高裁判決では、
と「かなり強引」に肉体関係を結んだとされている。
以上が「当時の(取材)プロセス」であり、江川は人生をかけた西山太吉の姿勢を評価し、批判されると次のようにツイートした。
西山太吉は東京地裁で判決が出た直後に毎日新聞を退社し、郷里に戻り家業の青果取り扱い会社の社員となって報道の一線から退いた。西山と西山事件は澤地久枝の『密約』ほか、山崎豊子の『運命の人』など文芸作品として描かれたが、2000年にアメリカ合衆国で「密約」の存在を証明する公文書が発見されるまでは概ね世の中から忘れられた存在であった。
公文書発見によって西山は国家賠償請求訴訟を起こしたほか、2013年に特定秘密保護法案について参考人として国会で意見陳述を行い注目を集め、報道関係者や左派政党から支持されたことで、著作や講演などの活動を活発化させた。だが西山事件は半世紀前のできごとであり、一般的には彼は過去に何かあった人でしかなかった。したがって訃報そのものよりも、江川など西山を支持する人々の発言をきっかけにして、西山事件の経緯が知られるようになったと言ってよい。
既に下されている結論
西山事件の一審判決について、過不足なく書かれた朝日新聞の1面コラム『天声人語』を紹介する。筆者は深代惇郎であろう
まず前段で、国の機密と知る権利について、秘密と暴露のバランスのうえに民主主義が成り立っていると実に明快に説明している。そのうえで西山の取材方法に疑問を呈し、しかも一審でHだけ有罪になったことへの違和感が表明されている。
ここまでの書きぶりから、「後味の悪さ」は筆者だけの感覚ではなく、広く世の中に広がる気分であったのが理解される。
後段で違和感の理由が列記されていく。
報道の自由が主張されているが、西山は入手した電文を党派的な目的で政府攻撃のため使用している。西山は情報源を秘匿しなかった。男女関係を利用して電文を入手した。いずれも報道の倫理にもとるもので正当化できないというのだ。そして最後に、密約電文が重大な機密文書ではなかったとする観点から、西山と社会党だけでなく国に翻弄されたHのあわれさへのやるせない心情が語られる。
Hのあわれさは、肉体関係が合意のうえか「かなり強引」に結ばれたものであったかを問わず、仮に彼女からすすんで電文が提供されたとしても、変わりないものである。
主観的な澤地久枝の『密約』も、元毎日新聞学芸部記者山崎豊子が描くお話『運命の人』も読むまでもなく、800文字に収まる深代惇郎の天声人語が西山事件を端的に整理し尽くしている。
これが半世紀前に西山と西山事件に下された、どこにも正義はなく不義だらけとする結論だ。当時から現在まで、天声人語が下した結論に対して反論や批判はこれといって存在しないのである。
土石流と化した報道への不信感
西山の訃報を受けて朝日新聞の武田啓亮記者は次のようにツイートし批判された。
何が正しさで、何が巨悪か決めるのが報道機関の特権と化していて、しかも目的が手段の悪辣さを浄化するというのでは危険極まりないとする意見は、武田だけでなく現代の報道機関に向けられた批判だ。
江川が「人生をかけて密約の存在を伝えた」と西山を讃え、批判の声があがると澤地久枝の『密約』を読めと勧めて更に批判されたのも、自派につごうのよい物語を正史と押し付けて他を認めない報道の傲慢極まりない独善性への不信感に根ざしたものであった。
いずれも西山の非道が、報道機関が日ごろから行っている非道と同じものと感じ取られたことで生まれた批判だ。故に、西山が強姦したと決めつけるのは正しくない、権力を監視するためスクープが必要と言えば言うほど、これらが正しかったとしても、火に油を注ぐ結果になった。
西山と西山事件だけでなく、現代のジャーナリストと報道機関への不信感は、さまざまな問題を巻き込んで誰にも止められない土石流と化してしまった。慰安婦捏造報道を思い出した人、原発事故報道を思い出した人、モリカケ桜問題を思い出した人、伊藤詩織さんを思い出した人、安倍晋三暗殺事件を思い出した人、旧統一教会追及を思い出した人、Colabo問題を思い出した人がいる。長年に渡って不信感でグズグズになっていた崖っ地を、無神経な態度で蹴り飛ばして土石流を発生させた武田や江川らには期待できないが、報道に携わる者が地滑りの後片付けをしないかぎり、日本のジャーナリズムは大衆からいつまでも西山と同類視されたままだろう。
深代惇郎は1975年10月15日の天声人語に
と書いた。後片付けどころの話ではないのは、大衆が知っている。大衆が支持できないジャーナリズムは衰退するほかないだろう。