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被災から13年 忘れたいこと 忘れ去られたこと

加藤文宏


あのときの記憶

 2011年3月11日14時46分。
 私は関東で東日本大震災を経験した。やけに明るい午後だった。このとき、かつて仕事上の知り合いだった原岡が福島県で被災していたのを知る由もなかった。正確に書くなら、彼女のことは何年間も忘れていた。
 翌日、福島第一原発1号機の建屋が水素爆発を起こし、パニックが原岡の判断を誤らせた。
 原岡が被災地から自動車を走らせ、紆余曲折の末に千葉県に達したとき日付がさらに変わっていた。駐車場ではナンバープレートから「福島の車」と呼ばれて、出て行けと追い出された。落ち合うはずの人や、探さなければならない人と、ことごとく連絡が取れなかった。まるで大海で遭難した船の乗組員みたいだった。しかし周囲には、被災地と比べたら震災前と大して変わらない人々の生活があった。世の中がまっ二つに分裂した悪夢を見ている気がしたという。
 私と原岡の人生は、自主避難者問題の解決に関わったことで激変した。
 私もまた、まっ二つに分裂した悪夢の住人になったようなものだ。過酷すぎて忘れたいことが山のようにあるが、これらこそ震災と原子力災害の本質で、忘れてはならないものではないかと戸惑いを覚える。
 いっぽう原岡は、他人の人生まで抱え込んで疲れ果て、自分が何者か、何をしたかったのかわからなくなってしまった。このため彼女は、いま自分を取り戻すことに集中している。10年以上経過して、やっと震災後が訪れたのだ。
 では、被災地の人々はどのような13年間を過ごしたのだろうか。


1ヶ月前のいわき市で聞いた

Aさんの場合

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