見出し画像

映画感想文『Mammy マミー』

筆者はあまり映画を観ない。
しかし、ドキュメントものは興味関心がある。
世間で知られていない情報は何なのか、本当は何なのかを知りたいからだ。

今まで、「オートレーサー森且行 約束のオーバルへ」や「天才ギタリスト ランディ・ローズ」、北朝鮮拉致問題「めぐみー引き裂かれた家族の30年」など、ちょっとマニアックなドキュメント映画を観ている。

今回は「Mammy マミー」だ。
タイトルだけ見ても何の映画かわからないかもしれない。

今から26年前、1998年7月に起きた「和歌山毒物カレー事件」を覚えているだろうか。
夏祭りに出されたカレーに猛毒のヒ素が混入され、4人死亡63人ヒ素中毒を発症した事件である。

過熱した取材、過熱した報道で連日ニュースを賑わせ、犯人とされた「林眞須美」が取材人に対してホースで水を撒くシーンを覚えている人は多いだろう。

林眞須美は容疑を否認しているが、死刑が確定している。

この映画は、林眞須美は「冤罪」であり、再審を求めるものである。
息子の林浩次(仮名)は、母(マミー)の無実を信じている。

本当に冤罪であった場合、死刑が執行されたら取り返しのつかないことになる。
これだけは避けなければならない。


メディアでは伝えられていないこと

林眞須美は夫の林健治とともに、保険金詐欺をしていたことは認めているが、カレーにヒ素を混入したことについては否認している。

なぜ林眞須美は冤罪と言えるのか。

決定的な物証もなく、動機も不明で確認されていない。

まず、目撃証言があやふやである。
目撃者の証言の内容が変わっていることや、林眞須美と見られる人物は当時の服装などから娘ではないのかなど、はっきりと林眞須美がヒ素を入れているところは確認できていない。

また、ヒ素自体はその地域ではシロアリ駆除に使用されており、林家だけでなく、他の家にもあったようだ。
当時のヒ素についての科学鑑定方法(SPring-8)が浅く、もう一度しっかりと調べる必要性がある。

さらには、検察側にも問題がある。
母親と次女がガレージにいるところを見たとする息子は、そのことを検察に話しているが、「身内の証言」として裁判では採用されていない。

判決文では、検察側の「その時間帯にヒ素を混入することは十分可能であった」や「カレー鍋の蓋を開けるという不自然な行動をしていた」などの理由で、「このような多くの間接事実を総合すると、被告人は東カレー鍋の中に亜砒酸を混入したものであるということが極めて高い蓋然性をもって推認することができる」としている。
つまり、林眞須美がヒ素を入れたとされる決定的な証拠はないが、林眞須美の他にヒ素を入れた人がいないことから、犯人は林眞須美だとして死刑に処するということである。

検察側は、林眞須美の動機について「主婦らとのやりとりに激昂した」としており、これについては判決では「解明することができなかった」としているが、メディアではこの否定されたことについて報道されていない。
そのため多くの人が「林眞須美が犯人だ」と思っているであろう。

いろいろな闇

司法

日本の刑事事件では、起訴されればほとんどが有罪となる。
これは検察側が有罪となる可能性が高いものを起訴しているからである。

しかし、実は決定的な証拠がなくても「こいつが犯人だ」「こいつを犯人にしよう」として、検察側が犯人とするためにストーリーを作り上げる場合がある。
これについては書籍「生涯弁護人」(著者:弘中惇一郎)を読んでいただきたい。

今回の事件についてはわからないが、少なくとも検察側はしっかりとした証拠を掴むことができず、また、動機(主婦らとのやりとりに激昂した)も作り上げたような気がしてならない。

法律を学んだ人ならわかると思うが、「疑わしきは被告人の利益に」という言葉がある。
刑事事件の大原則で、証拠がなければ被告人の利益になるようにするという意味である。

今回、果たしてこの大原則は守られていたのだろうか。
決定的な証拠もない、動機もない、疑わしいまま消去法で死刑という結論を出してしまって良いのだろうか。

なぜ黙るのか

筆者としては、もう少し検察側や弁護士側などの、裁判で語られていない詳細についてや、関係者の話を聞きたかった。

監督によれば、この事件について関係者に取材を試みているが、ほとんどが断られているという。
近所の人への取材も同様にタブーとされている。

話を聞けない焦りからか、監督は不法侵入を犯してしまう。

なぜこの事件について皆黙ってしまうのか。
なぜタブーとされているのか。

世間の目

過熱報道によって、世間のほとんどが「林眞須美が犯人」と思っているだろう。

無罪を主張する支援者に、「林眞須美が犯人だと思っている」とはっきりいう一般人がいた。
それが一般的な感想だろうと思う。
世間の目は、過熱報道後、死刑確定となれば「あーやっぱりね」で終わりだ。

しかし本当は冤罪かもしれない、支援者が再審に動いているなんてことは思いもしないだろう。
ましてや「Mammy マミー」なんて映画も、テレビで紹介されるわけでもなく、世間のほとんどが公開されていることを知らない。

厳しいことを言うなら、映画の存在を知った、冤罪かもしれないと言うことを知ったとしても、わざわざお金を払って映画を観に行く人がどれくらいいるだろう。
「ふ〜ん、そうなんだ」程度ではないだろうか。

さいごに

先にも述べたように、死刑が執行されたら取り返しのつかないことになる。

冤罪の可能性があるなら、再審をすべきなのではないだろうか。
科学鑑定に問題があるならもう一度やり直す必要があるのではないだろうか。
なぜほとんどの人が口をつぐみ、我関せずの態度を貫くのだろうか。
司法はこのままで良いのだろうか。


一般的にこの事件について、興味関心があるかないかは分かれるところであろう。

筆者の場合、真実を知りたいために映画を観た。
事件当時にテレビで見ていた報道と違うことがあるなら、それを知りたい。

当時の情報と、映画の情報、その他判決文、他者の情報など、いろいろな角度から見て調べて、自分はどう思うのかを考えたい。


最後までお読みいただきありがとうございました。

苔いろlife🌱

いいなと思ったら応援しよう!

苔いろlife🌱
最後までお読みいただきありがとうございます。 いただいたサポートは執筆のお供のコーヒー代、その他活動費に使わせていただきます!

この記事が参加している募集