僕らがペイフォワードにする理由①
僕たちモスオーシャンハウスでは、これまでの滞在サービス(ガイドツアーや宿泊、食事提供など)の対価としてゲストから支払いをうけるカタチから一歩をふみだしました。それは、お金をめぐりとつながりをうみだすツールとして未来へ贈る取り組みです。
杉を眺めても飯は食えない。
60年前の屋久島は林業の島。
島民の多くが何らかの林業関係の仕事で暮らしの生計を立てていました。
戦後の経済最優先の流れで島の8割にもおよぶ深い森がどんどん切り拓かれ、屋久島最大の杉の原生林と呼ばれた小杉谷の森も一本残らず木が切り倒され『屋久杉の墓場』と悲しみを込めて呼ばれる状況でした。
この森を、
未来を生きる子供たちのために残そう。
と、立ち上がった島の若者の声かけにかえってきた言葉が、、、
杉を眺めても飯は食えない!
でした。
戦後の苦しい食糧事情のなか家族の生活を背負って働く当時の大人たち。みな必死に生きていました。
島と森はひとつ。
その言葉に、縄文杉の発見者であり森の語り部でもあった岩川貞治さんはこう呼びかけました。
昔はこんな乱暴な木の切り方はしなかった…
かつて島と森はひとつだった。
島の人々は深い森の中に宿る精霊に感謝し、山で一晩泊まる時も一晩の宿を貸してくださいと山の神に祈りを捧げ、一本の木を切る時も山の神に感謝して切り倒し、その倍の木の苗木を植えて森にお返しをしてきました。
屋久島の森は、
先祖から未来を生きる子孫へと
大切に大切に受け継がれてきた森
その森を、自分たちだけで食いつぶしてしまうかのような過剰な原生林の伐採にまったをかけ、
未来の子どもたちにゆたかな屋久島の森を残そう!
その若者たちの純粋な思いが、
島を動かし、
やがては国を動かし、
そして、世界遺産の島はうまれました。
僕らが暮らす、
屋久島の自然はすでに
過去から未来へと
ペイフォワードされたもの。
屋久島の自然は、
経済優先の時代の荒波に翻弄されながらも目の前の杉をお金に変えることなく、それよりも生きていく為の大切な暮らしの土台となるゆたかな自然という選択肢を未来の子どもたちに残してあげたい!と、その当時の島の大人たちにより未来へとペイフォワードされた贈り物だったのです。
そのことにきづいてしまった時、
自分たちの中に、おおきな変化がうまれました。
自分たちの本当の仕事は、
滞在サービスの提供ではなく、
過去から贈られた、
ゆたかな屋久島の自然というギフトを
未来へと引き継いでいくことなんじゃないか?
そして、
その自然を未来へはぐくみながら暮らしていく結果としてゆたかな滞在サービスもうまれるのではないか。
①番と思っていたことが②番で、
②番と思っていたことが①番。
そう考えると、
今ある屋久島の自然をパッケージ化して
サービスを対価交換する世界ではなく、
たとえば、
森の天然水でおいしいお酒を楽しみつづけるための森づくりや、
仕事帰りにひよいと竿をなげれば魚がわんさかとれる豊かな海づくりや、
森の生態系のようにたくさんの命が息づく畑づくりなどなど、
未来へ価値をうみだす日々の営みに
お金をめぐらせることができたら
楽しいよなぁ。
いや、絶対楽しいよなぁ。
よし、やろう。
ここから、
僕らのお金をめぐりとつながりをうみだすツールとして未来へ贈るあらたな支払い?方法への挑戦がはじまりました。