【改訂版】ハリシュチャンドラ・ガートにて
本文は、早稲田大学中国文学会が2019年12月に発行した『中國文學研究』に私が寄稿したエッセイ「ハリシュチャンドラ・ガートにて」を加筆・改変したものです。
インドの一早い回復をお祈りしております。
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ヴァラナシはヒンドゥー教における七大聖都であり、ヴァラナシのガンジス川のほとりで亡くなると解脱できると言われている。インド人の多くは、この地で一生を終えることを望み、ここで来世の安寧を祈って静かに死を待つ。
私がインドに来た理由もヴァラナシを訪れるためであり、ガンジスの川岸であるガートで行われる火葬を見るためであった。
火葬場はマニカルニカー・ガートとハリシュチャンドラ・ガートの二つ存在する。ハッピー(※現地で知り合った青年)は小さい方の火葬場であるハリシュチャンドラ・ガートに連れて行ってくれた。
「僕は大きい方の火葬場は嫌いなんだ。あそこは薪代をせびる人たちがいるから鬱陶しい」
朝を迎えた街は一斉に動きだし、道路はリクシャーと人々でいっぱいになった。
クラクションの鳴り響く朝七時の大通りを抜け、ガートへと伸びる細く湿っぽい道に入る。その道は大通りとは打って変わり、人々のひそひそ声と時の流れが止まってしまったような静かな空気に包まれていた。
葬儀に使うのであろう大きな木の枝や薪の山を、ヤギと野良犬がするすると登っていく。次第に近づきつつある、死者の煙と川の予感に私は耳を澄ました。
「朝早いし今は雨季でガートが水没してるから、そんなに葬儀も多くないみたいだ」
細い道が終わり、ガンガーが見える所まで行くとハッピーがそう言った。
「あと、写真は絶対に撮っちゃダメだよ。写真を撮ったら、死者の魂が天に昇れなくなってしまうからね」
冷たく濡れた石の階段を、ハッピーと私は黙って登った。火葬がよく見える場所に行くためだ。
所狭しと積み上げられた薪と、寝転がる犬の隙間を縫うように私たちは屋根付きの小さな祠のある一角を目指した。
祠を掃除していたサドゥー(※修行者)は私のことを見ると、祠をうろついていた五匹の犬を外に追い出し、そこに座れというように石の台座を指差した。
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その祠はちょうどハリシュチャンドラ・ガートを一望できる位置にある。祠の真下から左手にかけてが火葬場だ。
雨季がまだ終わっていないため、ガートの半分以上が水没している。インド中から運び込まれた遺体がここで燃やされるとは到底思えないほど、その時の火葬場はこじんまりとして見えた。
「見て、あれは亡くなったおばあさんだな。これから火葬されるぞ」
ハッピーの指差す先で、金ピカの布に包まれた老婆の遺体がガートに運び込まれていた。
「参列者、男ばっかりだね」
「火葬に参列できるのは男だけだよ。女の人は泣いちゃうだろ?泣いたら死者の魂が天に行けなくなってしまうからね」
四十人ほどの男が、遺体が乗った木の担架を火葬用の薪の上まで運んだ。あの薪は三百キログラムぐらいあるんだ、とハッピーが言った。三時間ぐらいで遺体は完全に灰になるのだという。
遺体を担架からおろして、男たちは円形になって少し話をした後、次々にスマートフォンを手に取り、薪の上の遺体を撮っていた。
ハッピーが言うには、死者がこの世に形あるものとして存在できる最後の時間だから記念に撮っておくということらしい。
写真を撮り終えた男たちは、金色や赤色のリボンで装飾された木の担架を雑に解体する。
バラバラにされた担架の側には、今までの葬儀で同じように使われてバラバラされた木の担架の残骸がそのまま残されていた。
人は皆いつか死ぬ。
毎日誰かが死んでいき、誰かが死んだ時間の上にまた誰かが上書きするように死の時間を重ねていく。あの担架だった木の棒の山は、上書きを繰り返される人の死の具現だ。
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「母が死んだら一番下の息子が火をつける。父が死んだら一番上の息子が火をつける。女の人は子供を産むからお尻からは燃やさないようにする。男の人は働くから胸が強い。だから胸からは燃やさないようにするんだ」
ほら、火がついたぞ、とハッピーが言った。
火葬には、火葬場の近くにある建物で絶やされることなく燃やされてきた「聖なる火」が使われる。燃えた薪は少しずつ煙を増し、着火から十分後、遺体は燃え盛る炎に包まれた。
私は黙って燃える遺体を見つめていた。
段々と火は勢いを増し、熱気はだいぶん離れている私の元まで届いた。灰色の煙がまっすぐ立ち上っている。
金ピカの布が次第に黒くなり、老婆の細い右足が露わになったが、その右足も間も無く、黒く炭になっていった。
「人間生まれる時はみんなが見守ってくれているだろ?だけど見てみろ、死ぬ時は一人でいなくなるんだ。富も名誉も家族すらも、何一つ持っていけないんだ。ただ、自分のカルマと魂だけを持って、天に昇るんだ」
ハッピーが淡々と説明するのを私は黙って聞いていた。そうやってしばらく、ぼーっと老婆が燃えるのを見ていたら、ハッピーが突然私の肩を叩き「あれを見ろ」と言った。
「赤ん坊の葬式だ」
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ほとんどの遺体は火葬場で焼かれるが、焼くことのできない遺体もある。子供の遺体はその一つだ。
もちろん理由は諸説あるのだが、ハッピーは「小さい子供を焼いたら痛ましいからに決まってるだろ?」と言っていた。
焼かれない遺体は数人の付き人と共に小舟に乗り、ガンガーの真ん中まで行ってから川に沈められる。
その赤ん坊も、父親とその親戚と共に小舟に乗り、ガンガーの岸を離れようとしていた。赤ん坊は丁寧に白い布で包まれて、まるで白い繭のようであった。
しばらくして、小舟は川の真ん中で止まった。
父親は腕に抱いた我が子を、濁った川面へ静かに下ろす。赤ん坊は黙ったまま、混沌の川底へと消えていった。
薄い青と灰色が混じった色の空を、無数のカラスが飛んでいた。実に静かな朝であった。
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我が子が沈んだ後、父親は一人静かに泣き崩れた。船頭は黙ってガートまで淡々と舟を漕いでいた。
同乗していた親戚も黙ってガンガーの流れを見つめていた。
泣いたら魂は天に昇れなくなってしまう。
あの赤ん坊の魂は、あの父親のせいで天に昇れなくなってしまうのだろうか。
だが、一体誰が、幼い我が子をたった一人、あの冷たい混沌の川へ放り込まなければいけなかった父親を、泣き崩れたからといって責めることができようか。
風が吹いた。
もうもうと立ち昇る煙が、私たちの座る祠に向かって流れてくる。灰と死の匂いを乗せた煙はたちまち宙を覆い、私の短く切った髪を撫でていく。老婆の煙は途切れることなく力強く、天を目指していた。
ハッピーはしばらく黙っていたが、おもむろに口を開いて、死ぬことは悲しいことじゃないんだ、と言った。
「死んだら、生きる苦しみから解放される。そしてガンガーに還った後、またこのヴァラナシの地に生まれればいいんだからさ」
死んだ者に悲しみはないのだ。悲しみはいつも、生きる者の側にしかないのである。死とともに一切の感情は解放され、魂はカルマだけを連れて天へと昇る。
私はここに来る前に見た、沐浴する人々の姿を思い出した。
彼らは生死の狭間にある川で、歩み寄る死の側で、来たるべき明日のために祈っていた。
彼らを濡らした水はいずれヴァラナシの風に乗り、雨となりガンジス川へと帰っていく。そして彼らも自らの死とともに、いつか彼らを濡らしたガンジスの水へと還っていくのである。
風はずっと私に向かって吹いていた。
私は涙が出そうだった。
涙が出そうだったのは、いつまでも吹いてくる煙が目に染みたからなのだろうか。それとも、私もやはり葬儀で泣き崩れる側の「女」だったからなのだろうか。
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しばらく私とハッピーは、沈んだ赤ん坊の余韻と老婆の煙の中で沈黙していたが、ハッピーはおもむろに立ち上がって帰ろうと言った。
私たちはもと来た道を戻って祠と火葬場を後にした。
犬が寝そべる濡れた階段を昇って大通りに伸びる細道の入り口に戻った時、私は神妙な気持ちであったが、そこには重苦しい雰囲気もなく、ただ騒がしいクラクションと街の喧騒が響き渡るいつも通りの朝が通り過ぎていたのだった。(了)