死にたかった女が、トモノカイに拾われて未来を拾いあげた話
2021年3月。私は京都・宇治にいた。
この春にしては珍しく、花見をしようと多くの人が平等院に続く狭い参道でひしめき合っている。
参道の終わりには小さな石の階段があり、それを上ると宇治川が一望できる場所に出る。
残念ながら、冬が終わった昼の宇治川には、川霧は広がっていない。しかし、燦然と咲く桜が霞のように川べりを漂っていた。
麗らかに流れる川とすじ雲は、心なしか桃色をまとっており、山から吹き下ろすキンと冷えた風が、橋の真ん中でキッパリと、今立つ場所と一歩先の空気を分け隔てている。
この川の淵に浄土を再現した頼通の感性には感嘆せずにはいられない。
私はマスクを外した。川の匂いがした。
迫り来る春の予感を目一杯に嗅いで、「ああ、また新たな1年が始まる」と1人考えながら宇治川のほとりを歩いていたのだった。
◇
参道で買った抹茶サイダーの炭酸はすっかり抜けてしまった。
代わりに、ずっと頭の片隅に放り投げていた「自分の人生」が音を立てて浮き上がってきた。
私はずっと死にたかった。
17歳の時、「お前は34歳で死ぬ」と耳元で囁かれる白昼夢を見てからずっと、私は死を目指して生きていた。
繰り返される五感のない季節の中で、ただゾンビのようにかろうじて息をした。
冷たい夜の台所で、とてつもなく苦い水道水を飲み干した。
そうやって、東京の端っこで溺れかけながら、気づけば21歳になっていた。
21歳、早稲田大学4年生。平山茅です。
大学では中国語中国文学を勉強しています。卒論は香港の九龍城砦、もしくは重慶大厦を題材に書くつもりです。
どこに行っても定型の自己紹介を繰り返す、とてつもなく不器用な女が、死にかけながらも生き延びて、未来を拾った。
その影に、私を見捨てることなく側にいてくれた企業があった。
これは私がトモノカイで自分を取り戻し未来を拾い上げた話と、これからの決意についての話。
大学2年生、トモノカイに拾われた
高校を卒業して半年、私は東京に絶望していた。
高校2年生の時に東京から岡山に転校していた私は、「何としてでも東京に帰る」と心に決めてその目標を達成した。
そうやって、血反吐が出そうな日々を乗り切って念願叶って帰ってきたのに、東京に絶望してしまったのだ。(高校時代の話はこちら↓)
理由はしごく単純である。
東京に帰れば「失われた日々」が帰ってくると思っていたのに、帰ってこなかったからだ。
私の時間だけが止まっていた。
私が取り戻せるはずのない過去に執着している間に、みんなは私の知らない時間を生きて、私よりも随分と先の場所を生きていた。
◇
血反吐を吐いて過ごしたこの1年半は何だったんだろう。
これまで積み上げてきた18年をかなぐり捨てて東京に戻ってきたのに。
未来を捨てて過去を求めてしまった私には、もう何も残っていなかった。
もちろん、「将来何がやりたいのか」ということを考える気力も。
死にかけて過ごした1年半は徒労に終わり、東京でも私は死んだようにその日暮らしを繰り返したのだった。
◇
それでも春は、私たちを黙って通り過ぎていく。
2019年4月、私は早稲田大学の近くでトモノカイのチラシを配っていた。
暖かな日だった。
トモノカイは、大学生向け教育系バイト紹介サイトt-newsを運営する企業である。当時t-newsに惚れ込んでいた私は、別にインターン生でもないのにチラシ配りを手伝っていた。(隙あらば宣伝…↓)
その時に、私は「面白い子だね、うちで働かない?」とトモノカイの社員さんに拾われたのだ。
特に何も考えず惰性で生きていた私は、流されるがまま「はい」と言ってしまった。それが全ての始まりだった。
トモノカイで思い出した"未来の拾い方"
トモノカイで働き始めてからは飛ぶように時間が過ぎた。
記事を書いたりWEBデザインを任されたり、バナー広告を作ったり新入生向けサイトの運営を任されたり。
空虚な時間を忙しく埋めてくれる日々の業務が、私を生かしていた。
それでもやっぱり「死にたい」という思いが消えることはなく、この先の人生に「死」を据え置くほかに未来を描くことができなかった。
◇
しかし、途中で至極当たり前のことに気づく。
「今の私」は「過去の私」でできている。
いくら自分が過去を捨てたと思っていたとしても、それは紛れもない事実であり、
過去の一つ一つを繋ぐ以外に今を認める方法はなく、今を認めて積み上げることの他に未来を紡ぐ方法はないのだ。
誰かの人生を羨んでも、過ぎ去った過去を嘆いても、空虚な人生は続いていく。
過去の自分がばら撒いた伏線を丁寧に回収して、
再び正解を作っていくことでしか、未来への絶望から来る「死にたい」という感情を消すことができない。
確かに、昔描いていた未来は材料が足りないからもう作れないかもしれない。
でも、それに近い形の未来は作れるかもしれないし、これからまた材料を揃えていけばいいんじゃない?
◇
このことに気づいた時、大学生活は半分終わっていた。
「けっ、時間食い過ぎたぜ」なんて思いつつも、伏線をたくさん用意してくれたトモノカイに感謝した。
トモノカイは、とにかく生きることに必死だった私に、
「未来を拾い上げられるようになるまでのモラトリアム」と「好きな人生を選べるようになるためのスキル」を与えてくれた場所だった。
私がトモノカイで働く理由、それは
「自分の未来をもう一度拾い上げて、紡ぎ直すため」
なのだ。
これまでも、これからも。
これからの人生と目標について
今までの人生、私は自分で決めることはほとんどなかった。
それで初めて自分の意志に従ってみたら、そこには絶望しかなかった。
絶望の先にも絶望。私は自分で決めることに臆病になってしまったのだ。
でも、伊達に21年生きてきたわけじゃない。
広い世間を見渡してみて、どうやら私はちょっとしたミスを犯しただけのようだと気づいた。
それも死ななきゃいけないほどのミスじゃない。ミスですらない。
もうちょっと肩の力抜いて、人生を「好き」で埋めてみようよ。意外と人生何とかなるよ、死ぬほどのことなんてそんなにない。
◇
今年1年の目標は、「自由人になるための第一歩を踏み出すこと」。
具体的には、
1. UIUXの勉強orデザイン制作を毎日1つ完了すること
2. ポートフォリオを作成すること
3. トモノカイのスマホアプリUIを監修すること
の3つだ。
まず、自由人の定義は「いつでもどこでも自分の好きに生きていくことができる人」だ。
私は飽きっぽいし、興味関心も秋の空並みに移り変わる。
その癖、人に感化されやすくて、気づけば他人に振り回されている。
だから意識的に「自分のことは自分で決める」と念じておかなければならないし、そういう環境に身を置かないとまた病んでしまう気がするのだ。
◇
では、自由人を貫くにはどうすればいいだろうか?
必要なのは「武器を揃える」こと。
もちろん新たな武器を勇んで揃えに行ったっていい。
しかし、「生」にまだまだ多大なエネルギーを使わないといけない私には少し大変だ。
だから、
「好きな武器」×「すでに持っている武器」×「小さな新しい武器」
をブレンドして少しずつ強くなっていこうと考えた。
私の場合で言えば、「デザイン」×「t-newsの製品知識」×「UIUXのテクニカルな知識」だ。
◇
では、さらに、武器を揃えるためにはどうすればいいだろうか?
答えは「積み上げること」だ。
未来を作るのは過去の伏線である。
未来を紡ぐのに足りない伏線がある限り、私たちは現在に立って伏線を作り続けなければならない。
小さな糸から、細い紐へ。そして大きな縄へ。
今回目標にした前述の3つは、この流れを意識して並べてみた。
一気に成し遂げるのは難しいかもしれない。
だからひとまず、7月までの3ヶ月で、
・Cocodaの課題を40個完了させる
・iOSのUI講座(100時間分)を完了させる
・日々の業務で期待を超える製品を届けることを意識する
の3つを成し遂げたい。
おわりに
音を立てて、私は残りの美味しくなくなった抹茶サイダーを飲み干した。
この5年間、私は自分のために生きることしかできていなかった。
他のことに目を向ける余裕がなかったからかもしれないし、
むしろ自分にしか目を向けなかったから余裕がなかったのかもしれない。
私は我が儘だ。
でも、そんな私のそばに黙っていてくれた人たちがいた。
今度は私が、その人たちのために頑張る番である。
私はトモノカイで未来を拾い上げた。
これから紡ぎあげる未来で、私に泣くほど「生きたい」と思える日は来るだろうか。
そんな日が来ることを、淡々と静かに待ちたいと思う。
浄土との境目にある宇治の橋の上で、何となくそんなことを思った。(了)
※興味あったら読んでみてね↓
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