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「永遠の昨日」を忘れる日

死ぬことよりも、忘れることの恐ろしさ

「永遠の昨日」というドラマを見た。
きっかけは、Xだった。誰が言っていたのかも忘れた投稿を見た。

土曜の朝、寝ぼけ眼で見始めて、知らぬ間に2時間が経っていて予約していた美容院に遅れそうだった。

ドラマは全8話。もともとは小説として発刊されていたもののようだ。

人と人とが結ばれることと、離れなければならないことはどの“二人”にも訪れるドラマ。
出会いは、別れがあるから儚い。
別れても生きていさえすれば、またどこかで出会うことも、あるいはお互いが良いパートナーと人生を深めることもできる。
物語の浩一と満は、生と死とその狭間で、出会いと別れを見つめ続けた。

アディショナルタイム

死なないまま生きる時間は二人にとって幸せだったのか。
ドラマの中では「アディショナルタイム」と称していた。
結ばれた相手と関係を深めることができるのは確かに幸せなのかもしれないが、それでも浩一は死んでいて、満は生きなければならない。
「アディショナルタイム」の時間が、満の人生を不幸に転じる要素もはらんでいたのである。
だから、浩一は「同着一位」を満に提案した。何も考えていないようで、あまりにも優しく、そして愛にあふれた提案だ。
生きなければならない満に、絶望ではなく、希望を与えようとした。
それだけの相手に、満は今後出会うことができるのか。不安なくらいだ。

あまりにも長く短い「生」

生きることは大変だ。永遠にも思える。
しかし、死んでしまうとあっけない。一瞬のようでもある。
生と死で分断された二人は、10代という絶頂期に劇的な出会いと別れを経験した。
だからこそ、よりドラマ的で、ファンタジー的なのに、どこか現実味にあふれている。
そのバランスがよく取れた映像作品、また小説だった。
設定は幻想、写実は現実。そして、ハッピーエンドでもバッドエンドでもない。
僕はこの物語に、ハッピーを求めすぎていたし、終わり方があまりにも喪失感にあふれていてとめどない悲しさに襲われた。
希望的に無理やり捻じ曲げて解釈しようと試みすぎたり、悲しみに打ちひしがれたりするより、そういうものだと受容することが「永遠の昨日」を美しくさせるのかもしれない。

僕は、いつか「永遠の昨日」を忘れる日が来る。
「永遠の昨日」を思い出すときも来る。
そうやって、今日を生きて、明日を迎える。
いかに生きて、死んでいくのかを見つめながら日々を重ねよう。

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