東京砂漠に癒しを求めて 「じゃない」探訪〜東京編(後編)〜
《前回のあらすじ》
東京という渇いた街で身も心も擦り減らした妄想フォレストtravel取材班。癒しを求めてたどり着いたのは東京の西の果て檜原村。川のせせらぎをBGMにコーヒーを嗜んでから、駅直結庭付き一軒家(裏山付き)を見学。村で採れた野菜を使った洋食をいただいて腹ごしらえを終え、村の更なる奥地へ足を踏み入れるのだった…
東京唯一の選出 日本の滝百選「払沢の滝」
なぜか全国色々なところにある「白糸の滝」、関東の小学生が修学旅行で訪れて諸事情によりビビりながら写真を撮る日光の「華厳の滝」など、私たちの身近にある滝。有名な滝は「日本の滝百選」に入るものもあり、全国各地から見物客を引き寄せます。
さて、滝は高低差のある水辺にあるというその性質上、関東平野のド真ん中にあって見渡す限り建物がビッシリの東京には無いよね…と思っているそこのあなた。実は東京にもあるんですよね。しかも百選に入るほどの名瀑が。さっそく向かいます。
その名瀑の名は「払沢の滝」。「ほっさわのたき」と読みます。前編に登場する「カフェせせらぎ」からほど近い場所にあり、アクセスは比較的良好。駐車場に車を停め、歩き出すと景色は写真のとおり、気分は登山です。木々のそよめきに包まれながら歩みを進めます。
マイナスイオンを全身で感じます。ここはコンクリートジャングル東京から程遠い、どこかの山中かと完全に錯覚している取材班ですが、道沿いに立つ木に括り付けられた落石注意のお知らせにはメトロポリス東京の印、イチョウの葉が。
まるで500ピースのジグソーパズルになりそうな水辺の景観。新緑の隙間から差す日差しと、日陰にひっそりと佇む岩のコントラストが目に鮮やかです。この先にあるのが…
これが東京で唯一、日本の滝百選にその名を連ねる「払沢の滝」。合わせて4つの段があり、1段目の滝の高低差は26メートルで、全段合わせた高低差は60メートルにもなります。
払沢という名称は、この滝がお坊さんが持つ「払子」(虫を殺さずに払うための道具)の毛を垂らした様に似ていることに由来するとのこと。また滝壺には大蛇が住んでいたという伝説もあります。
このように様々な謂れのある払沢の滝ですが、入場料も駐車場代も不要。気軽に立ち寄れる神秘的な滝が都内にあるなんて、いったい1400万人いる東京都民のうち何%が知っているのでしょうか。払沢の滝に行かずに都外の滝を見に行くなんて実にもったいない。埼玉県民の筆者ですらそう強く感じるほどの力強さを、払沢の滝と道中にある謎の顔が、言葉ではなくその迫力で語りかけてくるのでした。
鎖場inメトロポリス 「神戸岩」
大都会東京にいながら、金でも権力でもなく自然の力の強さを払沢の滝でわからせられた取材班。しかし滝は檜原村の自然のほんの一部。もう少し力を知りたいので、別の場所に移動しましょう。
電車でもクルマでも、移動中に車窓から景色を楽しむことはできます。でも、深緑の中で奏でられるそよめき、さえずり、そしてせせらぎは、鉄の塊に閉じこもっているとなかなか気付けないものです。
やってきたのは「神戸岩」。ビーフと港が有名な街みたいな名前ですが、読みは「かのと」岩です。この先に神社があり、手前の岩がちょうど割れているので神域の入り口→神の戸→神戸になったとか。神社の境内にあるさざれ石とか、何かの施設に付随した岩石はよくありますが、岩そのものがこうして名所になっているのは珍しいですね。ちなみに岩はこの場所が一番見やすいです。進んでいってもあまり見えません。
入口からしてだいぶ山中ですが、ここまではクルマで来られます。駐車場ももちろん完備。ではさっそく、奥へ入ってみましょう。
駐車場から2〜3分で急に雰囲気が変わりました。手前の欄干のない橋も大概ですが、それよりももっと奥。先に進むためにはこの、岩場には何とも頼りないハシゴを上らなければなりません。これホームセンターとかにある普通のハシゴでは…。
おっかなびっくり、ちょっとグラグラするハシゴを上り、どうにか先に進むと…
平らにはなりました。が、安心したのも束の間、今度は川沿いの岩場を、鎖を頼りに進んでいきます。写真ではまったりした様子ですが、実際には水がゴウゴウ流れているので登山しているような気分です。
足場のグレーチングが半分宙に浮いています。テレビで見る、外国の危ない峠道みたいです。ここ東京なのに。
と、ここまでスリリングな道中でしたが、所要時間は10分くらい。ヒイヒイ言いながらもすぐに渓谷を渡り終わります。
峠(?)を超えると穏やかな景色が広がります。この先に神社があるのですが、徒歩だと1時間くらいかかるようなので引き返します。復路は違う道があるので、そちらから帰りましょう。
おや、ハシゴでも宙ぶらりんグレーチングでもなく立派な人工物が…なんだこれは。
冒頭で神戸岩の先に神社があると書きましたが、実は神社までは林道が繋がっていてクルマで行けます。復路はその林道をトレースしているんですね。文明の力を感じます。
トンネル内は暗く、夏でもヒンヤリしています。まるで主人公が八百万の神様のいる世界に迷い込んでしまう、某ジブリ作品の冒頭に出てくるトンネルのようです。
目前にそびえる岩、スリリングな渓谷、何度でも夢を描けそうなトンネルなど、見応えしかない神戸岩。いっぽうで、手前まで(トンネルを使えば奥まで)クルマで行けるアクセスの良さ、スリリングエリアの短さから、スニーカーで十分に感じました。
振り返らずにトンネルを抜けた取材班。なぜか神隠しにあったような感覚でふと道端を見ると…
草に飲み込まれつつあるパイロンが、ここがメトロポリス東京であることを静かに物語っていました。
メイドインヒノハラがズラリ 「ひのはらファクトリー」
東京なのに滝でマイナスイオンを感じ、東京なのに岩でクライミングまで体験した取材班。自然を満喫したあとは、自然で育まれたユズやじゃがいも、こんにゃくのような特産品で檜原村を感じましょう。村には特産品でできた様々な商品を購入できるお店がいくつもあるので、今回はそのうちの1店に行ってみましょう。
こちらは「ひのはらファクトリー」。店内には村のヒノキを使ったサングラスやおもちゃ、ユズの芳香剤にジャムなど、特産品を使用した製品が所狭しと、されど都心のビル群のように雑多にではなく整然と並んでいます。
特産品が並ぶ店内を見渡すとひときわ目を引くのが、じゃがいも焼酎なるお酒の瓶たち。ひのはらファクトリーでは村のじゃがいもを原料としたじゃがいも焼酎「ひのはら物語」を醸造・販売しています。
実はこの焼酎、昔からあるわけではなく、現在の杜氏を務める方が東京の離島、青ヶ島(伊豆諸島最南端、「あおちゅう」と呼ばれる焼酎が有名)で酒造りを学び、2021年から醸造しているそう。そのご縁で、ひのはら物語の隣には青ヶ島のあおちゅうも陳列されていました。
檜原村と青ヶ島という、同じ東京である以外に共通点がなさそうな2つの土地が、焼酎という架け橋でつながったのです。酒は人間関係の潤滑油なんて言いますが、じゃがいも焼酎は土地まで繋いでしまいました。
そしてひのはらファクトリー、実はショッピングだけでなくグルメも楽しめます。売り場の奥にイートインコーナーがあり、ヒノキに囲まれながらコーヒーにアイス、カレーなど檜原村の食材を使ったグルメをいただけます。どれも素敵なんですが、ぜひ皆さんに召し上がっていただきたいのが、このじゃがいもコロッケ。
「コロッケの中身って普通にじゃがいもじゃん」と思いますよね。でもこのコロッケ、口に運んだ瞬間にジャガイモのホクホクとした食感と甘み、少しの塩気がリニアモーターカーのごとく舌から喉、鼻へと駆け抜けていきます。見た目は丸いが味はアグレッシブ、それでいてしつこさはなく何個食べても飽きないというシロモノ。これはコロッケではなく「じゃがいもコロッケ」という別の食べ物だとわからせられてしまいました。
江戸東京博物館では学べないものがそこにはある 「郷土資料館」
東京でありながら急坂モノレールが必要なポツンと一軒家があったり、鎖とハシゴを頼りに進む岩場があったりする檜原村。まだ半日もいないのに、すでにこれだけ興味深いものを発見してしまいました。東京とは思えないものが現状これだけあるのですから、きっとこれまでの歴史や文化も私たちが知っている東京とは違うはず。檜原村には縁もゆかりもない取材班ですが、興味だけは人一倍あるので郷土資料館で檜原村を深掘りすることにしました。
このコンクリート製の立派な建物が郷土資料館。外壁に堂々と貼り付けられた「入館無料」の文字が眩しいですね。
入口は2階。受付を済ませて中へ入ると…
さすが郷土資料館、村に関するあらゆる史料が展示されています。本当はこのnoteを5編くらいに分けて全部ご紹介したいのですが、今回は特に興味深かったものを3点ピックアップしてみます。他はぜひご自身の目で確かめてください!
①地理
立体的な模型が鎮座しています。こうして俯瞰すると本当に山奥にありますね。模型の中心が檜原村ですが、南にある上野原市(山梨県)が目と鼻の先です。本当に東京なのか。
ここで筆者が非常に興味を惹かれたのが地名。
この模型、よくみると村内の地名が記載されています。村の地名は漢字で書くと特に違和感がないのですが、その読みが独特なものも。一例が「人里」地区(へんぼり)。一説には朝鮮語由来ともいわれるそうですが詳細は不明。初見では絶対読めませんよね。でも、何かしら意味があってこう呼ばれているはず。
大規模造成や区画整理で従来の地名を消し去り、耳触りの良い地名をつけるようなことは土地に対するリスペクトが足りないような気がしてなりません。謎の地名を今日まで残す檜原村は、良い意味で昔から変わらない、都民の癒しの里、ふるさとなのかもしれません。
②歴史・風俗
武田信玄の娘の松姫が、武田家滅亡の折に甲州から八王子へ逃げる途中に村の民家で休憩し、そのお礼に置いて行ったとされる手鏡。教科書で見た気がします。
村の昔話をASMRよろしくヘッドフォンで聞けるブースもあります。これから10数える間に、あなたは昔話の世界に誘われていく…(導入音声)
一番驚いたのが葬儀に関すること。
職員の方に見せていただいた資料によると、檜原村の一部では歴史的に土葬の文化があり、ご遺体を暫定的に一度埋葬し、その場所の土を後で別の場所にある共同墓地に持っていくという風習だそう。お話を伺った方ご自身は、そういう文化があることは知っているけれども、自分の地区では違ったので見たことはない、とおっしゃっていました。
③産業
急坂モノレールで伺った小林さんのお宅もそうでしたが、檜原村では古くから養蚕が行なわれていて、この写真の左側に写っている道具も養蚕に関連したものです。
かつて林業や養蚕などの産業が盛んだった檜原村。町人が住み商工業が盛んだった江戸市中や、地の利を活かして農業が広く行なわれた関東平野部とは大きく異なります。令和の今でも、山の幸や冷涼な気候といった土地の魅力を活かした産業が多くある檜原村と、マネーゲームに身を費やす大人たちがバベルの塔よろしく更なる高みを目指す都心部とでは、様相が大きく異なりますね。
このように、知れば知るほどメトロポリス東京のイメージとかけ離れて行くのが檜原村の魅力かもしれません。隣人の顔も知らない、住んでいるだけで地元ではない…そんな人も多くいる大東京の中の村なのではなく、檜原村という独立した存在とさえ来館者を感じさせる、そんな資料館でした。
退館時の一枚。展示物で村の歴史を学んだ我々に、今いるこの場所が東京だと思い出させるイチョウのマークが鎮座していました。そうでした、ここは東京でした。
東京唯一の秘湯を守る会 「蛇の湯温泉 たから荘」
檜原村の記事に興味を持ってここまでお付き合いいただいたあなたのような方は、普通の人が知っているような有名温泉地はけっこう訪れているはず。ということは、こんなふうに感じたこともあるのでは?
「どの温泉地も人が多い。もっとこう、知る人ぞ知るというか、ツウが好むところに行きたいな。」
いわゆる秘湯ですね。でも秘湯というからには、車道が通じていない山中とか、携帯電話が圏外とかにあって、殺人事件が起きたら偶然名探偵が居合わせるようなヘンピな場所にあるイメージがありませんか?
実はメトロポリス東京にも1軒だけあります。「日本秘湯を守る会」に加盟する、れっきとした秘湯が。
郷土資料館からクルマで約30分。先ほどご紹介した人里地区のさらに奥、もはや山一つ超えれば山梨県という数馬(かずま)という地区にあるのが「蛇の湯温泉たから荘」。看板の「多摩に残る名湯」からもわかるとおり、正真正銘東京の秘湯です。でも携帯電話は問題なく使え、車道も通じています。
入り口からして秘湯の佇まいです。
団体客向けのデカいロビーはなく、昔ながらの旅館の雰囲気です。浴場は右にあります。
お風呂の様子は割愛しますが、決して狭くない洗い場と大人4〜5人が入れるくらいの湯船があります。洗い場はシャワー完備で、秘湯シリーズのシャンプー類(日本秘湯を守る会が販売)が置いてありました。さすが秘湯。でもここ東京。
温泉は無色透明で、少し開いた窓の外には奥多摩の大自然。ときおりやさしく吹き込む風を感じながらゆっくり入浴した後は、エントランス横のシブいスペースでしばしまったりしました。
今回は日帰りでしたが、たから荘はもちろん宿泊可能。ウェブサイト見ると大人1泊2食付、1名15,500円から(2名から可)とのこと。秘湯、めちゃくちゃ泊まりたい…
帰路・トンネル・即山梨
温泉まで入って、1日かけて檜原村を堪能した取材班。往復で同じ道はつまらないので、別の道から帰りましょう。
たから荘から車で15分ほど走ると、「甲武トンネル」なるトンネルが現れます。ここは旧武州なので「武」、では「甲」はまさか…
県境の短いトンネルを抜けたらそこは甲州であった。即・山梨県です。
これがTOKYOへの入口だと外国人観光客に説明してもわかってもらえない気がします。筆者なら信じません。
上野原市街まで山を降り、中央道に入れば東京都心まで一直線。高速道路は偉大ですね、すぐ東京に帰れますから…いや、私たち今日ずっと東京にいましたね!?
まだ見ぬ東京を
眠らない大都会や、見渡す限り家・家・家な住宅街だけが東京ではないことを、前編後編を通じてお分かりいただけたのではないでしょうか。東京と聞くと都会のイメージばかりが先行しますが、実は独自の文化が根付き、自然の恵みを生活の一部とするような地域も持ち合わせています。渋谷のスクランブル交差点を「オレ東京詳しいんだぜ」的な雰囲気を纏って練り歩く人たちのうち、何%がこの事実を知っているのでしょうか。たぶん知らないでしょうね。そして、檜原村だけが東京の知られざる土地というわけではありません。この記事では伝えきれなかった、まだ見ぬまだ知らぬ東京という土地を探す第一歩を踏み出すきっかけを、この記事が後押しできれば幸いです。
(文:プニル 写真:ほきあ、プニル)