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自分を分析してみたら②
HSPカウンセラーの由梨です。
何事も考え過ぎてしまいがちな私が、
子育てが始まった10年程前を振り返りながら自分を分析しています。
出てきた問題点は以下の4つ。
今日は②について分析してみます。
①『今』やらなければいけないことをこなすので精一杯の毎日
②母親となり自分の立ち位置が一気に変わる
③自分のことは後回しが当たり前になる
④両親、義両親、ご近所、ママ友など全ての関係性でいい人に思われたい
②母親となり自分の立ち位置が一気に変わる
生きて行く上で人間関係は常に変わっていくものですが、私史上、これほど大きな転換期は他にないです。でも真っ只中にいると、初めての育児で自分を振り返る余裕などなく、それどころじゃなかった。
母親になること。
私にとって最もキツかったのは、
常に誰かの視線を感じながら
子供を育てているような感覚に陥っていた事です。
誰かに言われた、その人にとっては何気ない一言を「注意された」と自分でネガティブ変換して辛かったり、上手く家事をこなせない自分を無能な人間に思ったり。
今なら、それでもよくやってきたじゃん
はなまるー!を
自分に出せるんですがね。
『深く考える』
『見られているといつものパフォーマンスが出せない』
『できてないことに目が行きがちな自己否定』
HSP(ひといちばい敏感な気質)の特徴や自分の考え方の癖が色濃く現れて来たのだと思います。
その時はもちろん自覚症状なしですが。
誰かとは、夫を始めとした身内だけでなく、
とにかく目の前に現れる人全員です。
だからずっと査定されているような感じ。
なので、通りすがりの知らないおばさまにちょっと子供のことを褒められただけで気分上昇。
逆に誰かの一言でドスンと低下などなど。
乱高下する飛行機に乗っている状態。
それでもなんとか平静を装っていました。だから余計にしんどかった。
その根源には、
自分で作り上げた聖母マリアみたいな穏やかで微笑みの母親像と
全部私がなんとかしなければという無謀なひとり相撲。
理想と現実の壁に思いっきりぶち当たったことによるものだと思われます。
それでもなお、辞めときゃいいのに、育児本を読み漁っては、付け焼き刃で結局は何も変わらない日々にまた落ち込んだりもしました。
完全にやることが違ってる!
母親のあるべき姿
『家庭の中の太陽』
いつも笑顔を絶やさない。
この標語?にとてもやられました。
できてない私はダメな母親だーって。
人間だもの。
いつも笑顔じゃいられない。
母親じゃなくても結構しんどい。
どこかで調整するはず。
きっとここで苦しかったのは、自分の見方が、
育児本→自分
の一方通行
だったからでしょう。
いろんなパターンがあっていいし、
みんな違うんだから私は私でいいとこあるよと思えたら少し楽になり、周りの人の見方や言葉が刺さらなくなっていきました。
どんな自分も自分だと認める。
本音を隠して、あれもこれも自分でしなきゃと思ってた日々に一筋の光が刺しました。
母親となったことで、
本気で自分と向き合わされ、
立ち位置が一気に変わるいうより、
自分の捉え方を変える転換期という
ことだと思います。
実は母親になる前から、
ずーっと向き合わされたんでしょうけど、のらりくらり逃げる術や時間や心の余裕があったのでしょう。
そんなつもりもなかったようなあったような…
最後までお付き合いくださりありがとうございます!